2020年3月7日土曜日

2020年3月7日(ヘブライ人への手紙7)

ヘブライ人への手紙7;
第5章、第6章にもその名前が出てきたメルキゼデクについて、ここでは長く論じています。メルキゼデクは創世記第14章に登場していました。アブラハムが戦争に勝利して帰って来たとき、「サレムの王メルキゼデクがパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。『天と地の造り主、いと高き神に、アブラムは祝福されますように。・・・。』そこでアブラムはすべてのものの十分の一を彼に贈った」(創世記14:18~20)。創世記でのメルキゼデクの話はここで終わりますが、この手紙では、更にこの人物を主イエスの予型と見なして、主の大祭司としてのありかたを論じていきます。
先ず、メルキゼデクがアブラハムを祝福し、更にアブラハムはそれに応えて最上の戦利品をメルキゼデクに与えました。これは、アブラハムの子孫であるレビが最上の献げ物、しかも十分の一の献げ物をしたのと同じだ、と言います。従って、メルキゼデクはレビの子孫にまさる祭司に他ならない、と言います。
「ところで、もしレビの祭司制度が完全なものであったならば」と言っているとおり、旧約の祭司制度は完全なものではありません。だから、繰り返し繰り返し、献げ物は献げ続けられなければなりません。もうこれで十分ということにはならないのです。そして、レビとは別のメルキゼデクという、しかもレビにまさった祭司がいた。それと同じように、旧約の祭司制度を超える完全な祭司として、レビ族ではなくユダ族から生まれたイエスがおられるのだ、とアポロは訴えます。この方は完全な祭司なので、不完全な祭司のように捧げ物を繰り返す必要はありません。しかも、レビ族の祭司はやがて死にます。それもまたレビ族の祭司業の不完全さの証左になります。死すべき人間の一事の業にすぎない。「しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それで、ご自分を通して神に近づく人々を、完全に救うことがおできなります。この方は常に生きていて、彼らのために執り成しておられるからです。」この大祭司こそ、私たちのための完全な大祭司なのです。
このように見てみると、この第7章の意味はまことに明快です。イエスは、人間の祭司制度を凌駕した完全な大祭司。献げ物を繰り返す必要はありません。私たちを救うために永遠に完全な方、御子イエスが私たちの大祭司でいてくださいます。この永遠に生きる方が、完全な大祭司として、ご自身を献げ物としてくださった。だから私たちは生きることができる。ヘブライ人への手紙は私たちにそう語りかけます。

2024年4月17日の聖句

私の魂よ、主をたたえよ。 私の内なるすべてのものよ、その聖なる名をたたえよ。(詩編103:1) 私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神は、豊かな憐れみにより、死者の中からのイエス・キリストの復活を通して、私たちを新たに生まれさせ、生ける希望を与えてく...