2020年3月6日金曜日

2020年3月6日(ヘブライ人への手紙6)

ヘブライ人への手紙6;
「しかし、愛する人たち、こうは言うものの、私たちはあなたがたについて、もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています。神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになることはありません。」
このヘブライ人への手紙を読んでいくと、随分と厳しい思いにさせられます。「ひとたび光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしい言葉と来たるべき世の力を味わいながら、後に堕落した者たちは、再び悔い改めへと立ち帰ることはできません。神の子を自分でまたも十字架につけ、さらし者にしているからです。」この言葉は特にそうです。このように言われると、もう絶望するしかないと思います。しかし、アポロは私たちを絶望させるために、このように書いたのでしょうか?そうではないと思います。
確かに先ほどの言葉は強い警告です。私たちは、キリストがこの私のために十字架にかかってくださったという事実を、畏れをもって受け止めます。軽んじることは許されません。しかし、この手紙は私たちを励ますために書かれた手紙です。ですから、今朝、冒頭に掲げた言葉が記されているのではないでしょうか。「しかし、愛する人たち、こうは言うものの、私たちはあなたがたについて、もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています。神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになることはありません。」この手紙は、私たちの営んでいる小さな信仰生活の中にある、神と隣人とに仕える小さな業を忘れることがありません。そこで示された僅かばかりの小さな愛を、神様の御前に覚えています。そして神ご自身が、ご自分の義にかけて、私たちの働きや愛を忘れないでいてくださる、と言うのです。何という慰めに満ちた言葉でしょう。
ですから、あの厳しい言葉も、この神様の私たちを忘れないでいてくださる憐れみを忘れるな、という必死な警告なのではないでしょうか。肉を取られたイエスが私たちの弱さを知り、同情し、執り成してくださっていることに信頼しよう、この方の愛から決して離れないでいよう、という招きなのではないでしょうか。イエスの愛が、私たちを神の御許へ招きます。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...