2020年4月28日火曜日

2020年4月28日(ルカによる福音書6:27〜49)

ルカによる福音書6:27~49
社会の中にイライラが満ちています。私自身、その時代の子だと痛感します。そんなとき、主イエスの言葉が胸に突き刺さります。
「しかし、聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。」
イライラするというのには、先が見えなくて不安だとか、家の中の人口密度が急に高くなって辛いだとか、健康の面での恐ろしさを覚えるとか、いろいろな面があります。そして、そんな鬱屈した感情を誰もが持っているので、他の人のマイナスの感情に気づくのも辛いことです。知らず知らずのうちに、心の許容量一杯になってしまっていることに気づくと、自分が怖くもなります。
主イエスは、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」と言われました。これは、主ご自身が私たちのためにしてくださったことそのものです。何よりも、そのことを心に留めたいと思います。ご自分を憎む私たちを、主イエスさまは愛してくださいました。その圧倒的な事実から、すべては始まります。
主イエスは、神様の愛についてこのように言われます。「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。」恩知らずというと、とても具体的で私たちにもよく分かります。実際に恩知らずな振る舞いをされると、かなり厭な気持ちになります。神様は、主イエスさまを下さったといいうこれ以上ない恩を忘れる私たちのために、情け深く振る舞ってくださいました。
「弟子は師を超えるものではない。」主はそう言われます。私たちは、主イエスさまを超えるものではない。「しかし、誰でも、十分に訓練を受ければ、その師のようになれる。」主イエスはそう言われます。主イエスさまは、私たちキリストの示してくださった愛を真似て生きることを望んでおられます。
そのためには、十分な訓練が必要だと言われました。どうやって訓練するのか。先ず何よりも、恩知らずで神様を蔑ろにするこの私を、主ご自身が赦し愛してくださったことを深く知ることでしょう。そして、主のまねをすることが大切です。ほんの僅かでも、主が示してくださった愛に生きることができますようにという祈りを、神様は必ず聞いてくださいます。そして、他人のイライラを受け止めたとき、主ご自身がそのことを覚え、喜んでくださるに違いありません。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...