2020年4月29日水曜日

2020年4月29日(ルカによる福音書7:1〜23)

ルカによる福音書7:1~23
洗礼者ヨハネが二人の弟子を遣わして、主イエスに尋ねさせました。「来たるべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」
これは、本当にたくさんの人々が繰り返してきた問いではないでしょうか。あなたが救い主なのですか、イエスさまあなたを信じていいのですか?本当にこの方に救いがあるのか?神様なんて本当にいるのか?問いの背後にある思いは様々です。信じたいと思って聞くこともあれば、疑ってやり込めてやろうといことも、そもそも無関心ということもあります。しかし、いろいろな口調で、いろいろな言い方で、いろいろな気持ちで、私たちは尋ねます。「来たるべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」
主イエスはそれに答えて言われます。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、規定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである。」
この時、イエスさまは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる大勢の人を癒やし、大勢の目の見えない人を見えるようにしていたところでした。第7章の最初の段落では、百人隊長の僕、という人を癒やしています。ローマに雇われた兵士、ユダヤ人から見たら異邦人です。百人隊長は、イエスさまの言葉の権威を信じていました。その信仰を見て、主イエスは彼の部下である兵士を癒やしました。11節以下では、ナインの町にいたやもめの一人息子が死んでしまった葬送の列に出くわし、その一人息子を生き返らせるという奇跡をなさいました。まさに、イエスさまがおっしゃるとおり、目の見えない人や足の不自由な人、病気の人や耳の聞こえない人が癒やされ、死者が生き返っていた。そして、何よりも貧しい人たちがキリストの語る福音を聞いていました。主イエスは言われるのです。今、起こっていることを見てごらんなさい、まさに神様の福音の出来事が始まっているではないか、と。
世間でのヨハネの評判は、あまり芳しくはなかったようです。明日読む33節では、彼が「あれは悪霊に取りつかれている」と言われていたと指摘されています。荒れ野で悔い改めをのべ伝え、バッタと野蜜を食べていた彼を見て、人々は正気じゃないと言いました。彼はヘロデ王に捕らえられていました。やがて死刑になります。つまり、ヨハネには、本当に主イエスに救いがあるのかと疑うだけの理由がいくらでもありました。しかし、主イエスは、現に主の周りで起きていることをよく見てみなさい、と言われます。
主イエス・キリストがしていることは、もしかしたら、私たちの目には見えなくなってしまうことがあるのかも知れません。私たちの身の回りの状況だけで私たちの気持ちは一杯になってしまいます。しかし、確かに主の御業は進んでいます。神の国は進展している。そのことをよく見てみなさい、ここに私の救いの業は進んでいる。私につまずかずに、信じなさい。主イエス・キリストは、そう言われるのです。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...