2020年6月13日土曜日

2020年6月13日(使徒言行録9:1〜22)

使徒言行録9:1~22
最初の殉教者ステファノが石打にされたとき、サウロという若者が石を投げる者たちの上着の番をしていました。その後も彼は迫害の手を止めることなく、弟子たちはエルサレムにいることができなくなるほどでした。さらに「サウロは教会を荒らし、家々に入って、男女を問わず引き出して牢に送っていた(8:3」のです。その人がここに再び登場乗します。教会にとっては、敵です。
「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、迫害しようと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂宛の手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。」ダマスコの教会の人々にとっては、どんなにか恐ろしいことであったことだろうかと思います。
ところが、そんなサウロが主イエスと出会いました。思わぬことでした。「ところが、旅の途中、ダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか』と語りかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『私は、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが告げられる。』」サウロは、突然自分の人生の道に割り込んできたイエス・キリストと出会ったのです。
しかし、サウロは個人的に自分一人でイエスさまと出会って、心の中で神さまを信じました、という話ではありません。サウロには、「人」が必要でした。彼を助けてくれる「人」です。彼はそれまで憎んできたキリストを信じる「人」と新しく出会うことによってのみ、新しく生まれ変わることができたのです。だから、イエスは彼に「起きて町に入れ」と言ったのでした。
サウロに出会うために選ばれたのは、アナニアという人です。主がアナニアに言われます。「立って、『まっすぐ』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を尋ねよ。彼は今祈っている。アナニアと言う人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」アナニアは、当然、拒みます。その人は迫害者であって、仲間たちを何人も縛り上げてきたし、今回もこの町で酷いことをしようとしていたのです、と。しかし、主は重ねてアナニアに言われます。「行け」と。彼は私が選んだ器だから、と。
サウロはこのアナニアと出会うことで、キリストと出会いました。自分を赦すキリストの愛を、自分に手を置いて祈ってくれるアナニアを通して知りました。そしてアナニアは、サウロと出会うことでキリストと出会いました。自分を赦すキリストの愛を、サウロを受け入れることを通して知りました。私たちは隣人との出会いを通して、神さまと出会うのです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...