2020年6月18日木曜日

2020年6月18日(使徒言行録12)

使徒言行録12
まるで神であるかのように振る舞うヘロデの二つの記事に挟まれて、使徒ペトロが牢獄から天使に導かれて出るという不思議な話が伝えられています。
ヘロデはヨハネの兄弟ヤコブを殺し、これが民衆に受けるのを見て、今度はペトロをも殺そうと画策します。ヘロデが迫害の手を伸ばしていく理由は、主イエスが殺されたのと同じ理由であったということでしょう。主イエスも、殺せ、十字架につけろと熱狂的に叫ぶ民衆の声によって殺されました。ポピュリズムがイエスを殺し、今度はヤコブを殺しました。だから、私たちは「みんながそうだと言っているから」という理由で、時代の空気にのってはいけないのだと思います。
そのようにして熱狂する民衆の声は、ついにヘロデについて、「神の声だ。人間の声ではない」と叫ぶに至ります。ヘロデもそれが気持ちよかったのでしょう。しかし、「神に栄光を帰さなかったため」に、ヘロデは死にました。医学的な意味での死因はよく分かりません。しかしはっきりと、これは神の裁きであったと聖書は私たちに伝えています。
これらのヘロデを巡る出来事を、私は、とても恐ろしい話だと思いました。ヘロデを祭り上げて「神の声だ」と叫ぶ民衆は、自分たち自身の声、世間の声を「神の声」と言っているのと同じだと思います。それは、私たちの社会でもまったく同じなのだと思います。特に今は社会の中で憎しみがむき出しになっているように感じます。怒りは、私たにを正義感という神の装いをまとわせ、世間の声を神の声のように響かせ、その声に同調する自分のあやうさに鈍感にさせてしまう。怖いことです。しかも私は私自身がそういう時代の子であることを認めないわけにはいかないのです。
そんな中で、不思議な、しかし静かな出来事が起こりました。日本の鎖でつながれていたペトロ、二人の兵士の間に捕らえられていたペトロのところへ、主の天使が来ました。「主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロの脇をつついて起こし、『急いで起き上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。」ヘロデとヘロデを巡る熱狂とは対照的に、静かな出来事です。静かにペトロに語りかけ、ペトロを救って福音の証人として立たせる神の御業は、束縛の鎖を解き、ペトロを自由にしました。ペトロのために、神の前に身をかがめて祈っていた教会の仲間もここに登場します。神は、ご自身に身をかがめて静かに祈り、御言葉に耳を傾ける者をお忘れになることがない。キリストの証人として、何度でも遣わしてくださる。だから、世間の声に負けない大きな声が必要なのではありません。神を畏れ、御言葉に聞き、静かに祈っていていいのです。神さまご自身がこの世界の中で働いてくださっています。神さまにある静かな強さが、教会の力なのではないでしょうか。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...