2020年6月17日水曜日

2020年6月17日(使徒言行録11)

使徒言行録11
異邦人コルネリウスの家で、コルネリウスと彼の親類、親しい者たちにイエス・キリストの福音を宣べ伝えたペトロ。エルサレムの仲間たちはそのことに大変驚き、受け入れることができませんでした。「さて、使徒たちとユダヤにいるきょうだいたちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。そこで、ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者のところへ行き、一緒に食事をした』と言った。」
エルサレム教会にいた使徒たちは仰天したのだと思います。彼らはこれまで異邦人と付き合ったことなど一切無かったのですから。ペトロは、律法に禁じられている異邦人との交際を始めた。割礼を受けていない者たちが神を信じたといっているらしいが、まずは割礼を受けてユダヤ人になって、それから神を信じるのが物事の順序だろうと考えました。今、日本にいる私たちからしたら理解しがたい理屈ですが、彼らにとっては真剣な問いです。割礼を受けたユダヤ人であることが、彼らの誇りだったのです。
最近の米国での出来事を発端として、日本にいるアフリカにルーツを持つ人の声をラジオで聞きました。「日本には人種差別はない」と言う人がいるが、それは全然違っている。彼ら・彼女らが子どものころから経験してきたことは、聞くだけでも辛くなる話でした。私たちが無意識にしている差別は、他にもいろいろな場面であるのだろうと考えざるをえません。ユダヤ人にとっての割礼の問題には、似たような、無意識にすり込まれた感覚的なものがあったのではないかと思います。
神が見せてくださった幻に促されコルネリウスの家に入り、福音を伝えたペトロは言います。「主イエス・キリストを信じた私たちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、私のような者が、どうして神のなさることを邪魔することができたでしょうか。」この言葉を聞いた人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を崇めた、といいます。私たちの思いの狭さや短さを超え、それを打ち破り、誰をも無条件に招く神の御心に触れて、教会は新しくなりました。
エルサレムでそのようなことが起きているときに、別の場所でも大きな出来事が起こっていました。アンティオキア教会の誕生です。キプロス島やキレネから来たギリシア語を話すユダヤ人と異邦人とが形成する教会です。バルナバがここで伝道し、サウロを捜してここに連れてきて二人で伝道し、これからこの教会は、サウロ(パウロ)の異邦人伝道を支える教会になりました。このアンティオキアで始めて、弟子たちが『キリスト者』と呼ばれるようになったと言います。神さまの御業は、このようにして異邦人へと広がっていきます。神さまご自身が教会を通して働いておられるのです。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...