2020年6月7日日曜日

2020年6月7日(使徒言行録5:1〜16)

使徒言行録5:1~16
教会の人々が次々に自分の財産を売って献金しているのを見て、アナニアとサフィラ夫妻は気持ちが焦ったのだと思います。自分たちの財産も処分して献金することにしました。しかし、全部を献金してしまうことはできませんでした。それはそうだろうと思います。ただ、ほかの皆は「一人として持ち物を自分のものだという者は」いなかったので、人目を気にして、献金する額を自分たちの全財産だと偽ることにしました。夫婦で決めたのです。夫のアナニアは、こうして準備した全財産の一部を教会に持っていて、使徒たちの前におき、献金としました。ところが、それを見抜かれてしまいます。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金の一部を取っておいたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思い通りになったではないか。」彼はその場で死んでしまいました。かなりショッキングな出来事です。更に、それだけではありません。遅れて入ってきたサフィラも同じ嘘をつき、彼女も夫に続けて死んでしまいました。重ね重ね、読む者に少なからずショックを与えます。自分の献金を裁かれているような気さえしてしまいます。
アナニアとサフィラは、そんなに悪かったのでしょうか。全財産を献金しなければ、死をもって償わなければならないほどに悪いことなのでしょうか?
私は、この話の大切なことは、ここにいるのがペトロだということだと思います。ペトロは、かつてサタンにふるいにかけられて、見事にその誘惑に陥り、主イエスを否んだ男です。主イエスが十字架にかけられたとき、自分の命を守るために主を捨てた男です。アナニアとサフィラと、ペトロと、どっちが悪いのか。どちらと比べるようなことではないかもしれませんが、ペトロの罪は、もう自分では立ち直れないほどに決定的でした。
そのペトロが彼らに問います。なぜ、聖霊を欺いたのか、と。言葉を換えれば、聖霊によって、悔い改めるチャンスがあるはずだということではないでしょうか。ペトロとアナニア・サフィラ夫妻の違いはただ一つです。自分ではどうしようもない罪人であることはまったく同じです。違っていたのは、ペトロが罪を犯したときにイエスの憐れみの中に帰ったことです。ペトロは、この夫婦にも、その道があることを伝えようとしたのではないでしょうか。私も、自分ではどうしようもない罪人です。そして、主イエス・キリストは、この私がサタンに心を奪われるとき、私のためにも祈り、聖霊が悔い改めの心を与えようとしてくださっている。主イエス・キリストの憐れみの中で、私はそのことを信じます。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...