2020年6月8日月曜日

2020年6月8日(使徒言行録5:17〜42)

使徒言行録5:17~42
「そこで、大祭司と仲間たち、すなわち、そこにいたサドカイ派の人々は皆、妬みに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。ところが、夜間に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、『行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい』と言った。これを聞いた使徒たちは、夜明け頃、境内に入って教え始めた。」

民衆に福音を宣べ伝えていた使徒たちは、ついに大祭司たちの妬みを買うようになりました。使徒たちは再び逮捕され、牢屋にぶち込まれます。しかし、主の天使が来て、彼らを解き放ちました。そして言うのです。「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と。それで、彼らは夜明け頃にすぐにこの言葉に応えます。「これを聞いた使徒たちは、夜明け頃、境内に入って教え始めた。」
戦略的に考えたら、愚かな行為なのだと思います。十分に警戒すべき状況です。場所を変えるとか、やり方を変えるとか、方法を考えなければ同じことの繰り返しになるのは火を見るよりも明らかです。しかし、彼らはすぐに再び神殿の境内に行って、主イエス・キリストの福音を宣べ伝えました。その一事にすべてを傾けました。
教会のなすべきことは、それに尽きるのだと思います。戦略的に有効な方法を考え出すよりも、出会う人に愚直に福音を伝えること。しかも彼らが宣べ伝えた福音は、これです。「私たちの先祖の神は、あなたがたが木に掛けて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。」主イエス・キリストにある罪の赦しの福音です。教会は、この言葉を愚か者のようになって伝道しました。
迫害は繰り返されます。また再び捕らえられ、尋問され、鞭で打たれ、イエスの名によって語らないように命じられます。「それで使徒たちは、イエスの名のために辱める受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えずメシア・イエスについて教え、福音を告げ知らせていた。」主イエス・キリストを信じ、その名による福音のあまりの素晴らしさに感動していたのでしょう。この素晴らしい福音を一人でも多くの人に知ってもらいたかったのでしょう。そのために、自分自身は愚か者のように福音を告げ、この御名の輝きに生きたのです。こうして、教会という信仰共同体の基礎が築かれました。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...