2020年6月9日火曜日

2020年6月9日(使徒言行録6:1〜7:16)

使徒言行録6:1~7:16
そこで、十二人は弟子たちを全員呼び集めて言った。「私たちが、神の言葉をおろそかにして、食事の世話をするのは好ましくない。そこで、きょうだたち、あなたがの中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人探しなさい彼らにその仕事を任せよう。私たちは祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊とに満ちた人ステファノと、ほかにフィリポ・・・を選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。

生まれたばかりの教会に弟子の数が次第に増え、問題も起こり始めました。ギリシア語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人との間のトラブルです。ヘブライ語を話すユダヤ人が、ギリシア語を話すユダヤ人のやもめたちの日々の分配を少なくしている、という苦情が出たのです。教会の場所はエルサレム。つまり、土地の言葉はヘブライ語。ギリシア語を話すユダヤ人というのは、地中海世界に散らばって外国で生まれて育ったユダヤ人のことです。移民の子ということになります。しかもその中のやもめということは、いちばんの社会的弱者です。そういう弱い立場にいる人たちが、教会の中でも軽んじられてしまっていたのです。これでは世間で起きていることと変わりがありません。教会は誕生した時から罪と無関係ではありませんでした。
この問題に対処するために、使徒たちは、食事の世話をするための専門の働き手を立てることを決めます。教会が、この世の原理とは異なる基準、つまり愛によって生きることに専心する人々がたてられました。教会の務めが分化されたのです。それは教会が愛の務め、そして御言葉と祈りの務めと、その両方が決して欠かすことのできないものであることを知っていたからです。教会の働きにはいろいろな種類や役割があります。しかしその目的は同じで、教会がキリストの体として整えられ、キリストへの愛と互いへの愛によって整えられることです。そうやって、教会に神様が託してくださった福音宣教に仕えます。
今、私たちはこれまでの教会の動きとは違う時間を経験しています。集まって一緒に何かをすることも、なかなかできません。しかし何事も、ここにあるとおりに他者への愛によって道が選ばれるのなら、神さまはそれを用いて、教会を一つの絆で結んでくださいます。絆には「傷(きず)」が含まれます。エルサレム教会では、社会的構造から来る差別が持ち込まれてしまいました。私たちの罪がもたらす分断を乗り越えるなら、必ず傷つきます。しかしその傷を引き受けることが絆であり、それが愛するということです。傷を引き受ける「絆」は、神さまが私たちの間に起こしてくださる愛の奇跡です。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...