2020年7月2日木曜日

2020年7月2日(使徒言行録20:1〜17)

使徒言行録20:17~38
ミレトスに到着したパウロは、そこにエフェソの教会の長老たちを呼び寄せました。最後の挨拶をするためです。パウロはこれからエルサレムに向かうことにしていました。エルサレムに行ったときにパウロは逮捕されることになります。すでにそのような危険な状況にあることがよく分かっていたのでしょう。パウロはエフェソの長老たちに、別れの挨拶をしました。
パウロは言います。「(パウロは)謙遜の限りを尽くし、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身に降りかかって来た試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。」パウロが涙を流しながらエフェソでしたことは、主イエス・キリストの福音を証しするという一点につきます。そのことに集中し、心を注ぎだすようにして仕えてきたとパウロは言います。
そして、これからパウロはエルサレムに行く。そこでは「投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきりと告げてくださって」いると言います。「しかし、自分の決められた道を走り抜き、また、神の恵みの福音を力強く証しするという主イエスからいただいた任務を果たすためには、この命すら決して惜しいとは思いません」と言い切っています。パウロは、神の恵みの福音を力強く証しするという、そのことに集中してきましたし、これからもそうすると言います。それこそ、力強くそのように証しします。
そこで、別れを告げるエフェソ教会の指導者たる長老に言うのです。「どうか、あなたがた自身と羊の群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命されたのです。私が去った後、残忍な大神どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、私には分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとするものが現れます。だから、私が三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。」かならず教会としての苦難の時を迎え、試みに耐えなくてはならないときが来る。だから、パウロがこれまで教えてきた言葉を思い起こし、目を覚ましていなさい、と言います。
こうしてみると、エフェソ教会を導くのは、これまでも、これからも、神さまの御言葉です。さがみ野教会も同じです。神さまの御言葉だけが教会を造り、教会を支え、教会を導きます。だから、パウロは言います。「そして今、あなたがたを神とその恵みの言葉とに委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に相続にあずからせることができるのです。」神とその恵みの言葉が、教会を守ります。教会の行くべき道を照らします。ただ一つの羅針盤です。私たちは、この御言葉によって、この嵐のような時代を生きていきます。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...