2020年9月7日月曜日

2020年9月7日(フィリピの信徒への手紙1)

フィリピの信徒への手紙1
「私は、こう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識とあらゆる洞察を身に着けて、ますます豊かになり、本当に重要なことを見分けることができますように。そして、キリストの日には純粋で責められるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神を崇め、賛美することができますように。」
パウロの祈りの言葉が書かれています。パウロは実際に祈って、その祈りの言葉がそのまま書き取られたのでしょう。フィリピ教会のための祈りであり、私たちのための祈りであると読んで何ら差し支えないものです。
パウロは、私たちの愛のために祈ります。私たちの愛が、深い知識とあらゆる洞察を身に着けて、ますます豊かになるように、と。この言葉がすでに驚くべきものです。愛が豊かになるために深い知識と洞察が必要だと言います。愛は気持ちの問題ではないし、燃え上がるような情熱が最後の力を持つというのでもない。知識と洞察です。以前、私の尊敬する牧師からこの聖書の言葉を示されて、言われました。愛には知識と洞察が必要だ。相手が何を喜び、何を悲しむのか。あるいはなぜこのようなことを口にし、あのような行動をしているのか。そういうことをよく見て、相手を知り、言葉にならない言葉に耳を傾け、相手の心を想像する力が必要だ。だから、愛する力は想像する力であり、思いやりのことだ。私にとっては、忘れることのできない言葉です。
私たちの愛の実りは、キリストの日に問われます。キリストの前で、私たちの隣人への愛を問われる。キリストの前に責められるところのない愛。キリストによって与えられる義の実に満たされた愛。
そのように言われると、怯んでしまいます。しかし、大事なことは、このパウロの言葉が祈りであるということではないでしょうか。神が私の内に愛の実りを結んでくださるのです。昨日まで読んでいたガラテヤの信徒への手紙では、第5章で、愛を聖霊が私たちの内に結ぶ実りと呼んでいました。神様ご自身が、この私の内に、愛の実りを結んでくださるのです。だから、私たちは神の結んでくださる愛の実りをもって、ただ神を賛美します。神を崇め、神を礼拝します。そこでこそ、愛が完成するからです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...