2020年10月15日木曜日

2020年10月15日(ペトロの手紙二1)

ペトロの手紙二1
「主イエスは、ご自身の神としての力によって、命と敬虔とに関わるすべてのものを、私たちに与えてくださいました。それは、私たちをご自身の栄光と力ある顕現とで召された方を、私たちが知ることによるのです。この栄光と力ある顕現によって、私たちには尊く大いなる約束が与えられています。」

私たちの命も、敬虔も、主イエス・キリストが与えてくださったもの。使徒ペトロはそのように証言します。どんなにか深いペトロ自身の実感がこもった言葉なのでしょう。まさに、主イエスと出会い、主に新しくして頂き、主ご自身から信仰を頂いた人です。
それならば、主イエスは私たちにどうやって私たちに命と敬虔とを与えてくださったのか?それはキリストの栄光と力ある顕現による、と言います。「顕現」というのははっきりとかたちをとって現れることという意味ですから、この場合は主イエスが神の子としてのご自身を現されたということだと思います。
どういうことなのか?ペトロ自身が、具体的な主イエスの出来事を書いています。「イエスが父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、次のような声がかかりました。『これは私の愛する子、私の心に適う者。』私たちは、イエスと共に聖なる山にいたとき、天からかかったこの声を聞いたのです。」主イエスが洗礼を受けたとき、水から上がると「これは私の愛する子、私の心に適う者」という声を聞いた。ペトロはその話を主イエスから繰り返し聞いたことでしょう。そして、やがて彼自身、天から響く声がイエスにそう語りかけるのを聞いたのです。山の上で。主イエスに同じように語りかける声を彼は聞いた。これが、ペトロ自身が体験したイエスの神の子としての顕現です。そしてこのペトロの体験はペトロ一人にはとどまらずに、他の弟子たちにも共有され、やがて生まれた教会の仲間に共有され、私たちのところにまで届けられました。
そして、このキリストの神の子としての顕現と栄光が、私たちの敬虔の源だとペトロは言います。私たちが祈ったり、神を信じて仰いだり、『父よ』と呼びかけたり。それらはすべて、キリストが神の子としてペトロや私たちの前に現れたことに始まるのです。壮大な話です。しかし、そうであるからこそ、私たちに起源があるのではないということなのだと思います。私たちではなく、キリストから始まった。ペトロは心を躍らせるような思いで、この手紙を書いたのではないでしょうか。私の、そしてあなたの敬虔は、キリストが神の子でいらっしゃることに始まったのだ。だから、この敬虔は確かなもの。ペトロと共に私たちも喜んで、そのように告白します。

2020年10月22日(ヨハネによる福音書4:1~30)

ヨハネによる福音書4:1~30 「主よ、あなたは汲む物をお持ちではないし、井戸は深いのです。どこからその生ける水を手にお入れになるのですか。」 サマリアの女と主イエスとの対話です。生ける水を与えようというイエスの言葉をいぶかしく思って、彼女は問いただしました。「主よ、あなたは汲む...