2020年10月16日金曜日

2020年10月16日(ペトロの手紙二2)

ペトロの手紙二2
「人は、自分を打ち負かした者に隷属するものです。私たちの主、救い主イエス・キリストを深く知って汚れから逃れても、再びにそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、その人たちの後の状態は前よりも悪くなります。」

ペトロは、主イエスの言葉を思い起こしながらこの言葉を記したのだと思います。主イエスは言われました。「汚れた霊は、人から出て行くと、休む場所を求めて水のない所をうろつくが見つからない。それで、『出て来た我が家に戻ろう』と言う。帰ってみると、掃除をして、飾り付けがしてあった。そこで、出かけて行き、自分より悪い他の七つの霊を連れてきて、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」ペトロは、私たちは汚れた霊に打ち負かされ、その奴隷になってはいないかと問いかけます。
そこには、やはりペトロ自身がかつて主イエスと出会ったにもかかわらず悪霊に打ち負かされてしまった経験が思い起こされていたのではないでしょうか。主を捨て、イエスを知らないと言ってしまったあの夜。あのとき、確かにペトロは悪霊に打ち負かされ、その奴隷になってしまったのです。その時、自分は主イエスと出会う前よりももっと悪くなってしまった。それは、ペトロ自身の偽らざる実感だったのではないでしょうか。
ペトロは、本当に切実な思いで私たちを連れ戻そうとします。私たちは、どうしようもなく罪を犯してしまうし、その時、汚れた霊に負け、奴隷になってしまう。自分の好きなように生きているつもりであっても、奴隷でしかない。その私たちを再び自由にし、神のものとしてくださるお方のもとへ帰ろうと、ペトロは私たちに訴えます。私たちの救いは、主のもとにある。私たちの自由は、キリストのもとにある。私たちを本当に自分らしく生かしてくださるお方は主イエス・キリストに他ならない。罪から離れ、キリストのもとへ立ち帰ろうと、この一人の使徒は私たちを招いています。

2024年3月29日の聖句

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