2020年11月18日水曜日

2020年11月17日(ヨハネによる福音書19:23~42)

ヨハネによる福音書19:23~42
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。

十字架にかけられた主イエスが「渇く」と言われたのは、聖書の言葉が実現するためであった、とヨハネによる福音書は告げています。聖書の言葉が実現するためということで主イエスの出来事の理由を説明するのは、むしろマタイによる福音書に多い書き方です。ヨハネによる福音書では、これまでそれほどそのように言われてきたわけではありませんでした。ところが、殊十字架にいたって、ヨハネは出来事の理由を聖書の言葉に求めているように思います。今日のところでも、「聖書の言葉が実現した」ということが何度か言及されていました。
主イエスの服が籤によって分けられたこと、主イエスが「渇く」と言われたこと、酢を飲まされたこと、骨を折られなかったことなど、旧約聖書との関わりを深く持つ描写が多いのです。
昨日のところでは、イエスの無罪を確信しながらも十字架につけたピラトや、彼にそう決断せしめた民衆の熱狂などをとてもリアリティのある筆運びで伝えていました。むしろ、今日の十字架そのものの箇所は、起きたことを淡々と報告している印象を受けます。その中で何度も繰り返して注意喚起しているのが、この「聖書の言葉が実現した」ということであろうと思います。ヨハネは言うのです。表面上は民衆の熱狂やピラトの衆愚政治、そういったものがイエスを十字架につけたように見えるけれど、本質はもっと別のところにある。すべては、聖書の言葉が実現するための出来事だったのだ、と。
イエスは人々が差し出した酢を受け、「成し遂げられた」と言って息を引き取られた、と書かれています。主イエスは聖書の言葉が実現したことをご覧になって、成し遂げられたと言われた。聖書の言葉が実現するというのは、言葉を換えれば、神様のご意志が貫かれるということです。イエスは神の御心をすべて受け入れ、その完成を見て、息を引き取ったのです。私たちを救うキリストの十字架の御業は、御父のご意志とそれを引き受けた御子によって成し遂げられました。私たちのための、私たちを愛する神のご意志です。神ご自身がイエスを十字架におかけになったのです。
今日一日の私たちの祈りの歩みが、この神のご意志に思いをいたし、静かにこれを思い巡らして御前に伏すものでありますように。主イエスさまの御前に頭を垂れつつ、祈りの道を上っていきましょう。

2020年12月1日(ヨハネの黙示録1)

ヨハネの黙示録1 見よ、この方が雲に乗って来られる。 すべての人の目が彼を仰ぎ見る。 ことに、彼を突き刺した者たちは。 地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。 然り、アーメン。 聖書の最後に収められている、ヨハネの黙示録を読み始めます。1:1には「イエス・キリストの黙示」とありま...