2020年11月9日月曜日

2020年11月9日(ヨハネによる福音書12:20〜50)

ヨハネによる福音書12:20~50
「光は、今しばらく、あなたがたの間にある。闇に捕らわれることがないように、光のあるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」

光について、この福音書では第一章で「まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである」と言っていました。この光は、主イエス・キリストのことです。キリストは、世を照らす世の光。すべての人を照らしてくださいます。だから、闇に捕らわれることがないように、光のあるうちに歩きなさいと言われます。
「光のあるうちに」と言っています。言葉を換えれば、やがて光が見えなくなってしまうときが来るということでしょう。一つには、主イエスが十字架にかけられるときということであろうと思います。そして、私たちが今は暗い夜だと言わざるを得ないときが必ず来る、ということでもあるのだと思います。今もそういう時代なのかもしれません。再び急速に闇が深まっている気さえします。以前はいろいろなことがありながらも世界はやがて良い方向に向かっていくのだろうというようなある種の楽観的な世界観が広く共有されていたように思います。しかし、今の時代にそういう意味での楽観的な世界観を持つ人はあまり多くないのではないのではないでしょうか。そういう意味では、闇の時代に入りつつあるという感覚が現代を覆っているように思います。
もしもこの世界を闇が覆っているのだとしたら、それは私たちの罪の闇ではないでしょうか。「闇に捕らわれることがないように」と主イエスは言われます。闇は私たちを捕らえる。罪の闇は私たちの感情に魅力的に訴えかけてきます。利己心や差別心は、恥ずかしくて表立って人に見せることはできないけれど、自分を守るためには心地よいものです。闇に捕らわれないために、私たちはキリストの光の中を歩みます。
佐藤鶴子さんが日本に帰ってきたとき、子どもたちに賛美歌を教えてくださいました。「歩こうみんな共に、神の光の中」と歌います。私たちは孤独に耐えながらキリストの光を探すのではなく、仲間たちと共に、キリストの光の中を歩んでいきます。神の光の中に照らされて、私たちは共に歩んでいく。光の子として、光の中を歩きます。光の中を歩いていれば、自分がどこを歩いているか分かります。罪の闇を恐れる必要はない。私たちの今日という一日は、神の光の中で照らされています。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...