2020年12月10日木曜日

2020年12月10日(ヨハネの黙示録10)

ヨハネの黙示録10
すると、海と地の上に立っているのを、私が見たあの天使が、右手を天に上げ、世々限りなく生きている方、天とそこにあるもの、地とそこにあるもの、海とそこにあるものを造られた方にかけて誓った。「もはや時がない。第七の天使がラッパを吹き鳴らすとき、神の秘儀が成就する。それは、神がご自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」

私たちの世界の歴史は、完成に向かって進んでいる。私たちはそう信じています。ただ何となしに、野放図に、だらだらと進んでいるわけではない。ただ偶然そこにあって、いずれはなくなっていくというものでもない。あるいは、歴史がぐるぐる回りながらいずれまた元に戻って繰り返していく(永遠回帰)ということでもない。歴史は神によって始められ、神がいずれ完成させる。何に向かっているのか?神の秘儀が成就することを目指しています。神が良い知らせとして告げた秘儀が実現することに向かって、歴史は進んでいる。
この「良い知らせとして告げた」という言葉は、「福音」という言葉の動詞形で表現されています。福音が宣べ伝えられた。福音として伝えられた知らせ。つまり、主イエス・キリストが完成させる救いのときにむかって、この世界の歴史は進んでいます。
しかしそれは秘儀なので、今はまだ見えません。天使のラッパで呼び起こされている歴史のさまざまな苦しみの中で、キリストの救いの歴史が進んでいることは私たちの目にはよく見えない。しかし、それは確かに進み、完成に向かっているのです。
福音。それは、言葉として私たちに伝えられました。神さまからのメッセージが書かれた巻物を、ここでヨハネは食べています。「私は、その小さな巻物を天使の手から受け取り、すべて食べた。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると腹には苦かった。」食べてすぐ、口の中にあるときには甘い。しかし、腹に入ると苦くなる。最初は甘くておいしくても、かみ砕いてのみ込み、消化して自分の血肉にしようとすると、苦い。確かに聖書の言葉にはそういうところがあるのかもしれません。聖書が語ることを血肉にして生きるのは、簡単なことではない。しかし、この苦みは毒である苦みではなく、私たちの体と心を造り上げる苦みです。試練の中、キリストがこの歴史を支配し、救いを成就していることに気づかせる苦みです。私たちは日ごとに聖書の言葉に聞き、その甘さを楽しみながら、そしてその苦みによって丈夫に造り上げられながら、私たちに与えられたこの世界の歴史の一端、その持ち場で、今日も生きているのです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...