2020年12月9日水曜日

2020年12月9日(ヨハネの黙示録9)

ヨハネの黙示録9
「これらの災いに遭っても殺されずに生き残った人々は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊や、金、金、銅、石、木で造った、、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝むことをやめなかった。また彼らは、自分たちの犯した殺人やまじない、淫行や盗みについても、悔い改めようとしなかった。」

この章にはかなり恐ろしい災いが描かれています。読んでいて怖くなります。さそりのような毒を持ったばったが現れ、刺されるとひどい苦痛を味わう。しかし、「その間、人々は死を求めても与えられず、死を切に望んでも、死の方が逃げていく」というのですから、本当に恐ろしいことです。しかもそのばったの災いはまだ第一の災いであって、さらに第二、第三の災いが続くと言います。
第六のラッパが鳴らされると、四人の天使が解き放たれて人間の三分の一を殺してしまう、と言います。この天使も本当に恐ろしい様相を呈している。「彼らは、火の赤、青玉の青、硫黄の黄色の胸当てをつけており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄を吐いていた。その口から吐く火と煙と硫黄、この三つの災いで人間の三分の一が殺された。」
この恐ろしい災いから生き残ったものがどう反応したのか。それが、冒頭に掲げた言葉で報告されていました。彼らは、悔い改めようとはしなかった。神ならぬものを神とし、人を殺し、淫行や盗みを行う。そういう自分たちの行いを離れようとはしなかった。そのように言われています。
今を生きる私たちへの問いのような言葉です。私たちは、今、このような状況の中にあって、自分たちの生き方を変えようとしているのでしょうか。私たちの周りには神のような顔をした神ならぬもので溢れています。力を持ち、しかし本当は道具に過ぎないはずのものが自己目的化している、というものがたくさんあります。お金もそうでしょうし、統治機構や経済システムなどもそうであると思います。しかし、それらは人間が造ったものに過ぎず、見ることも聞くことも歩くこともできません。それなのに人間を奴隷にする。そして、貧しかったり弱い立場にある人の存在や犠牲を正当化してしまう。淫行はロマンチックと言われ、盗みは資本主義の帰結と言われます。私たちは、生き方を変えなければならないのではないでしょうか。今、私たちに災いが襲ってきているのだとしたら、それは神さまの前にある一つの問いに他ならないのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...