2021年5月8日土曜日

2021年5月8日(詩編119:105〜112)

詩編119:105~112(ヌン)
あなたの言葉は私の足の灯
私の道の光。(105節)
私はひどく苦しんできました。
主よ、あなたの言葉どおりに私を生かしてください。(107節)
私は常に危険にさらされています。
しかし、あなたの律法を忘れませんでした。(109節)

あなたの言葉は私の足の灯。「私の足」が進む道、それは平坦でなだらかな道ではないようです。「私はひどく苦しんできました」と言っています。「私は常に危険にさらされています」と言っています。さらに110節では「悪しき者どもが私に罠を仕掛けました」とも言っています。そういう「私の道」を歩む足元を照らす灯、それが神さまの御言葉だと言っています。
この「灯」は、煌々と照る、真昼のように明るい照明ではないでしょう。小さな灯です。足元しか分からない。自分の一歩を小さく照らす光。ずっと先は分かりません。御言葉の光に照らされて一歩だけ進む。その先の次の一歩は、そこでまた足元を照らして、御言葉に導かれて踏み出します。
今、私たちの足元を照らしている光は、何でしょうか?私たちが確かだと思っている光は、御言葉の光でしょうか?もう一度確かめてみても良いのかも知れません。私たちは何を頼りにし、何に希望を見て生きているのでしょうか。
この詩編では「しかし、あなたの律法を忘れませんでした」とか、「しかし、あなたの諭しから迷い出ませんでした」と言っています。私たちの道は平坦ではなく、私たちは危険にさらされたり悪しき者に苦しめられたりします。だからこそ、私たちがどう生きるかが問われる。神さまの御言葉に従って生きることで、私たちは灯をもって確実な一歩を踏み出すことができます。
主イエスはご自分の言葉を聞いてこれに従う者を、岩の上に家を建てた人と呼びました。それとは逆に聞くだけで従わない人は砂の上に家を建てた人。岩の上の家は雨が降り、川が溢れ、風が吹いて家を襲っても倒れない。土台がしっかりしているからです。私の自分の足を主イエス様の足跡に重ねるようにして主の後に従っていきたい。そのように思わされました。

2024年4月26日の聖句

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