2021年8月4日水曜日

2021年8月4日(コヘレトの言葉8:1〜17)

コヘレトの言葉8:1~17
地上に起こる空なることがある。
悪しき者にふさわしい報いを正しき者が受け
正しき者にふさわしい報いを悪しき者が受ける。
私は、これも空であると言おう。(14節)
私は神のすべての業を見た。太陽の下で行われる業を人は見極めることはできない。人を探し求めようと労苦しても、見極めることはできない。たとえ知恵ある者が知っていると言っても、彼も見極めることはできない。(17節)

ある程度社会が順調に進んでいるときには、何らかの意味で因果律が働きます。悪しき者には悪しき者としての報いがあり、正しき者には正しき者としての報いがある。言葉を換えれば、完全ではないにしてもおおよそ社会は公正であると言うことができる。しかし、そういう因果律を前提にできなくなってしまう時代もあります。例えば戦時です。あるいは疫病の蔓延が今よりもっとひどくなり、社会が崩壊してしまう事態に陥れば、そういう時にもやはり社会の公正さはこれまで以上に崩壊してしまうでしょう。私はコヘレトが見ていた社会は、因果律や公正さが崩壊した社会なのであろうと思います。「悪しき者にふさわしい報いを正しき者が受け、正しき者にふさわしい報いを悪しき者が受ける。」そしてそれは空だと言うのです。
同じような時代を背景としたものとしては、例えばヨブ記も挙げられると思います。ヨブは無垢な人で、神さま御自らがヨブについて「地上には彼ほど完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけている者はいない」とおっしゃっていました。しかし、まさにヨブは「悪しき者にふさわしい報いを正しき者が受け」たのです。何の謂われもなく不幸な目に遭いました。子どもたちを失い、家財産をすべて失い、本当にひどい皮膚病に冒されたのです。ヨブの妻は「神を呪って死んでしまいなさい」と言わざるを得なかった。あまりに不公正な目に遭っているからです。
コヘレトが見つめているのも、同じような不公正な社会、正しき者への報いが期待できず、悪しき者が栄える社会です。デタラメな社会です。そんな社会の中でもコヘレトは信仰を失わず、神さまを信頼します。太陽の下で行われる神の業のすべてを見極めることはできない、だからそれを神に委ねるのです。従って、人間にふさわしいのは「太陽の下では食べ、飲み、楽しむことよりほかに人の幸せはない」とここでも繰り返し言います。神がそれを与えてくださったのだから、と。
私たちの目に映る「現実のゆえに」神を信じるのではなく、「それにもかかわらず」神を信じるということが問われます。世界の不条理を本当に甘んじて受け、不公正な苦しみを苦しんだのは、本当はキリストご自身です。このお方が与えてくださった今日一日の命を誠実に、また楽しく生きるところに価値を見るコヘレトのまなざしは、真実なものです。

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