2022年2月23日水曜日

2022年2月23日の聖句

あなたの戒めだけに目を向けるならば、私はだめにならない。(詩編119:6)
イエスは言われる:わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。(ヨハネ4:31~34)

もう20年くらい前のことですが、悪くなったものを食べてひどくお腹を壊したことがあります。それ以来、私は古いものが悪くなっているのかまだ食べられるのか、見極める自信があまりありません。ここで主イエスさまは「私の食べ物とは」とおっしゃって、食べ物の比喩で話をしておられます。食べ物には健康に資する食べ物もあれば、強烈に美味しく感じさせるだけで体に悪いものもあります。そして、腐っていて食べたら体を壊してしまうものもあります。豪華な見た目のものが体に良いとは限りません。地味であっても滋味に溢れた食べ物が、体を作り上げる。
主イエスの食べ物とは一体何か。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」主イエスさまをお遣わしになった父なる神様のみこころを行い、その業を成し遂げること。主イエスはそのように言われるのです。
天の父の御心とは一体何か。このイエスさまのお言葉はヨハネによる福音書に記録されています。同じこの福音書には、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」という御言葉が記されています。世への愛。そこに神の御心がある、と言っている。その愛は「独り子をお与えになったほど」の愛だ、と言っています。父の御業、それは世を愛する神の御業です。その御業は、イエスが十字架にあげられることで完成しました。キリストは、父の御心に従って私たちを愛し、父の御業を成し遂げるために十字架に進んで行かれます。神の愛の御心と御業に生きることをこそ、主イエスはご自分の食べ物となさっている。
私たちの魂を造り上げる食べ物、それは、父の御心に従って愛することです。愛の心に生き、父の愛の業のための手として頂くこと、足として頂くことを喜んで受け入れることです。「あなたの戒めだけに目を向けるならば、私はだめにならない。」ここで「戒め」と言っているのも、同じことです。神の愛の御心、私たちを愛する者として生かす戒め、それが私たちを建て上げるかけがえのない栄養です。それは祈りなくしては不可能です。必ず、神さまは私の内からも愛の御業を始めてくださると信じて、祈りつつ、今日一日の歩みを始めていきます。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...