2023年4月29日土曜日

2023年4月29日の聖句

あなたは、あなたの神、主の前にひれ伏し、あなたの神、主があなたとあなたの家とに与えられたすべての恵みを喜びなさい。(申命記26:10~11)
この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富みに望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。(1テモテ6:17~18)

私たちが生きるためにはこの世の富が必要です。お金がなければ今晩の食事も食べられなくなってしまう。自分も、家族も、生きることができなくなってしまいます。ただ、富は私たちにとってとても激しい誘惑を引き起こすものにもなります。できれば必要最低限ではなく余裕のある生活をしたいし、もう少し言えばたまの贅沢を楽しみたい。いや、本当はあまり我慢しないで毎日を生活したい。お金を求めれば、お金に飽きることはありません。そして、何よりも、お金があれば大丈夫だとなると、神様なんて必要ないという気がしてしまいます。次第に、人に対しても神様に対しても高慢になる。
お金自体が悪いものということではないのだと思います。お金はただの道具です。人間が独りぼっちとかとても小さな規模の集団生活で、自給自足をして事足りるのであれば必要ないかも知れません。しかし社会を形成して生きている以上、どうしても必要です。肝心なことは、お金にしても食べ物にしても、それらはすべて神が与えてくださったのだという謙遜を学ぶことではないでしょうか。
それはお金だけではない。今日の旧約聖書の御言葉に聞くならば、家族も同じです。家族もまた神が与えてくださった。そのことを忘れる時、私たちは家族に対しても、家族ではない人に対しても、神様に対しても高慢になります。家族には、家族の中でしか分からない幸も不幸もあります。他人にはなかなか分からない事情や歴史がある。しかし神さまはそれもご存じです。神様にあって、私たちは家族とも出会い直すことができる。神が出会わせてくださった最初の相手が、家族です。
神様は私たちに生きるために必要な一つひとつのものを与えてくださった。だから、神に与えられたものを尊びつつ、同時に神様と隣人とのために献げることを神様はお喜びになるのでしょう。主なる神様が、私たちの間におられます。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...