2023年7月12日水曜日

2023年7月12日の聖句

主よ、あなたの民を大切にしてください。そしてあなたの嗣業を辱めなさいでください。(ヨエル2:17)
キリストは私たちのためにご自身をお与えになり、それにより、私たちをすべての不義から解かれ、良い業に熱心であるような民をご自分のものへと清められました。(テトス2:14)

今日の旧約に「嗣業」という言葉があります。エジプトを出て40年の旅をした神の民は、約束の地に入ったときに、部族毎に土地の割り当てを受けました。神が与えてくださったその土地を「嗣業の地」と呼びます。神が与えてくださり、先祖代々大切に継ぐべき地です。ところがここでは、土地ではなく神の民を「嗣業」、しかも「あなたの嗣業」と言っています。神の民、それは神様ご自身の割り当てだと言うのです。大胆な言葉です。そして、恵みに満ちた言葉です。
思えば「キリスト者」という言葉も同じ響きを立てています。私たちはキリスト者。キリストのもの。キリストご自身のもの。キリストは私たちのために「ご自身をお与えになり」、私たちをご自分のものとしてくださいました。私たちはキリストのもの、キリスト者と呼ばれます。
キリストは私たちをすべての不義から解いてご自分のものとしてくださった、だから私たちは良い業に熱心になることが出来る、と言っています。
すごく厳しい親に育てられた子どもが、やがて成長して親に反発し、反動的に正反対の生活をするということがあります。ゲームをしたりテレビを観たりすることを妨げられていたことに反発してのめり込む。厳格な親に反発して性的に放銃になる。・・・。一見すると親の支配から離れて自由になったようにも見えますが、本当は非常に不自由です。親に抑圧されてきたのと同じフレームワークでしか物事を捉えておらず、その反発というかたちでしか自分を表現出来ていません。本当に自由になるためには、親の抑圧と全く違う枠組みで人生を捉え直すということが必要です。
主イエスは「不義」に抑圧されていた私たちを自由にしてくださいました。そして「良い業」に生きる自由を与えてくださった。不義を基準にして物事を考えるのを止めています。新しい、キリスト者の自由による業に生きはじめている。自由の枠組みそのものが変わったのです。それは神の嗣業として自分を新しく発見し直し、自分という存在の根底が変わったということです。不義は「自分の思い通り」と見せかけて実のところ私たちを不自由にします。しかし神にある良い業は不義からの反動ではなく、キリストの愛や憐れみ、それがもたらす喜びへの応答です。キリストは私たちを自由にします。私たちを神のもの、キリストのものとして、本当に自分らしく生かしてくださるのは、主イエス・キリストなのです。

2024年5月9日の聖句

主は彼らに喜びを与えられた。(エズラ6:22) いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16) 復活の主日から40日目の今日は、主の昇天を祝う日として覚えられています。主イエス・キリストは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれたと聖書に書かれています。キリストは天に昇り、神の右...