2024年4月16日火曜日

2024年4月16日の聖句

私の神である主は、私の闇を光となしてくださる。(詩編18:29)
これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79)

主なる神さまの憐れみの心によって。これが私たちのすべてです。すべては神の憐れみから始まりました。私たちが暗闇と死の陰に座し、あるいは私が闇そのものであっても、神の憐れみによって私たちには光が射しています。今や光です。
しかもこの光を「曙の光」と言っているところが本当にすてきです。夜の闇が明け初めて、暗闇に包まれていたところに曙光が射してくる。朝の光、闇に包まれた大地を明るく、あたたかく照らす曙の光。主イエス・キリストは私たちを照らす曙の光、朝の訪れ、あるいは輝く明けの明星として来てくださいました。
古来、キリスト教会が礼拝堂を建築するようになってから、礼拝堂は東向きに建てる習慣があったそうです。日本の土地事情ではなかなか難しいですが、すてきな習慣です。なぜ東向きなのか。朝日が昇るようにキリストが復活した。その事実を祝い、死者の中から復活したキリストを崇めて、東を向いて礼拝を献げたのです。私たちのために昇る曙の光、それは死者の中から復活させられたイエス・キリストです。
この光によって私たちの歩みは平和の道へと導かれる。かつては平和とは関わりがない私たちでした。しかし今や光の中で平和の道を歩み始めている。この福音の宣言の中、今日も私たちは一日の歩みへと送り出されているのです。祝福がありますように。

2026年2月17日の聖句

隠されたことは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、とこしえに私たちとその子孫のものである。(申命記29:28) それは、彼らの心が神の秘儀であるキリストを深く知るようになるためです。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されています。(コロサイ2:2~3) 「...