あなたを確かに純粋な良いぶどうとして植えた。それなのに、私にとって質の悪い異国のぶどうに変わり果ててしまうとはどういうことか。(エレミヤ2:21)
神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けたりなさいませんでした。(ローマ11:2)
聖書は「罪」ということを言いますが、それは、何か一般的に言って悪いこととか、世間に顔向けできないとか、そういうこととは違う事柄を言い表しているのだと思います。今日の旧約の御言葉はこのように書かれています。「あなたを確かに純粋な良いぶどうとして植えた。それなのに、私にとって質の悪い異国のぶどうに変わり果ててしまうとはどういうことか。」もともと、神は「あなたを確かに純粋な良いぶどうとして植えた」とおっしゃっています。純粋で良いものとして神が造ってくださった筈のものがどうして「質の悪い異国のぶどうに変わり果ててしまう」ということが、神さまの私たちへの問いです。神さまが造ってくださったのとは全然違うものに成り下がってしまった。本来の良さが損なわれた。その理由は、純粋な良いぶどうとして私たちを植えてくださった神さまから遠く離れてしまったからです。そういう私たちの有り様を、聖書は「罪」と呼んでいます。
神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けたりなさいませんでした。(ローマ11:2)
聖書は「罪」ということを言いますが、それは、何か一般的に言って悪いこととか、世間に顔向けできないとか、そういうこととは違う事柄を言い表しているのだと思います。今日の旧約の御言葉はこのように書かれています。「あなたを確かに純粋な良いぶどうとして植えた。それなのに、私にとって質の悪い異国のぶどうに変わり果ててしまうとはどういうことか。」もともと、神は「あなたを確かに純粋な良いぶどうとして植えた」とおっしゃっています。純粋で良いものとして神が造ってくださった筈のものがどうして「質の悪い異国のぶどうに変わり果ててしまう」ということが、神さまの私たちへの問いです。神さまが造ってくださったのとは全然違うものに成り下がってしまった。本来の良さが損なわれた。その理由は、純粋な良いぶどうとして私たちを植えてくださった神さまから遠く離れてしまったからです。そういう私たちの有り様を、聖書は「罪」と呼んでいます。
そういう私たちを神さまはお見捨てになりませんでした。「神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けたりなさいませんでした。」あらかじめ神に知られていた。神のものであった。ところが、神から遠く離れてしまった。それなのに、神はそう言う私たちを捨てず、退けず、ご自分のものと言い続けてくださっている。それが「福音」です。神はなお私たちをご自分のものとしてくださっている。私たちの罪深さを理由に、私たちを退けることなく。
ですから、そういう主イエス・キリストに示された神の愛を慕い、求めて、私たちは生きていきたい。そう願います。
ですから、そういう主イエス・キリストに示された神の愛を慕い、求めて、私たちは生きていきたい。そう願います。