「神は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と。誰も彼も背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」何と厳しい言葉だろう。神が天から見渡しても、一人も善を行う者はいないのだ。神の前に汚れているのは、この私なのだ。だから、私から救いが始まることはない。決してない。神からしか始まらない。私たちが喜び祝うことができるように、主よ、救ってください。
2025年12月5日の聖句
主よ、慈しみを私たちに示し、救いを与えてください。(詩編85:8) 救いはユダヤ人から来る。(ヨハネ4:22) 「救いはユダヤ人から来る」と聖書にあるとおり、神のお遣わしになったメシアはユダヤ人としてお生まれになり、ユダヤ人たちを中心に福音が告げ知らされ、ユダヤ人たちに聖霊が降っ...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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主よ、私の祈りをお聞きください。私の叫びに耳を傾けてください。私の涙に黙していないでください。(詩編39:13) (一人の罪深い女が)イエスの背後に立ち、イエスの足元で泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛で拭い、その足に接吻して香油を塗った。イエスは女に言われた。「あな...