「心が挫けるとき、地の果てからあなたを呼びます。」なんと幸いな言葉であろうか。まさに、このような時にこそ主なる神様を呼ぼう。心がうずくまり、とぐろを巻いて萎えてしまうときに神は私たちを「高くそびえる岩山の上に」導いてくださる。これは確かなことだ。「あなたは常にわたしの避けどころ」。そう。神に逃げ込めば良いのだ。キリストは心挫ける私の困った現実の中、そこで叫び、この現実の中で神を畏れ、祈っておられる。
2025年10月23日の聖句
女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。 自分の胎内の子を憐れまずにいられようか。 たとえ、女たちが忘れても 私はあなたを忘れない。(イザヤ49:15) 神は愛です。(1ヨハネ4:8) 神の愛ということを考えるときに、「親が子を思うような愛」というような言い方を耳にすることがあります...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...