神は心の清い人に対して恵み深い。しかし、2節ですぐに「それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ」、と続く。それだけに身近な詩編だ。何を誤りそうになったのか?神に逆らう者の安泰がうらやましくなった。神に逆らっても安泰なら、心清く生きる意味がどこにあるのか?むなしいではないか(13節)。多くのキリスト者がこの葛藤を知っているのではないだろうか。しかし、神が私の手を取り、心愚直に神を求める者に御自分を示して下さる。
2025年10月24日の聖句
あなたの未来には希望があるーー主の仰せ。(エレミヤ31:17) 神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来たるべき世に現そうとされたのです。(エフェソ2:7) 私たちにはこれから先のことは分かりません。自分自身の事も分からな...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...