この詩編を読むと少し困惑する。5〜8節が他と少し調子が違うからだ。この作者は今どのような状況にあるのか。「あなたはとこしえにわたしたちを怒り、その怒りを代々に及ぼされるのですか。(6)」しかし、他の部分では救いを確信し、あるいはそれをすでに目撃している言葉になっている。なぜか。恐らく、この祈りをしている今はまだ苦しみ、神の怒りを見ている。しかし、その苦しみの中で既に救いを確信しているのだ。それが信仰なのだ。
2025年10月20日の聖句
その支配は海から海へ、大河から地の果てに及ぶ。(ゼカリヤ9:10) 悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部与えよう。」すると、イエスは言われた。「退け、サタン」。(マタイ4:8~10) 自分に...
-
1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
-
さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
-
(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...