2018年4月8日日曜日

ルカによる福音書第24章1から12節「あの言葉を思い出せ!」

教会は出会いの場です。人と出会い、何よりも神様と出会います。主イエス・キリストは過去の世界におられるのではありません。今、生きておられる。過去のエピソードではなく、今生きておられ、私たちと出会おうとされている方です。マグダラのマリアを初めとした婦人たちが主イエスの墓へ行きました。彼女たちは、そこでイエスと出会うとは思ってもみませんでした。主イエスの遺体を清めるために墓に行ったのです。悲しむために墓に向かったのです。しかし、そこには主イエスの遺体はなく、代わりに輝く衣を着た二人の人がいて、言いました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と。この今生きておられるイエスとの出会いが、キリスト復活の意味です。使徒パウロはコリントの信徒への手紙一第15章で、「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます」と言いながら、もう一度その福音をこの手紙に書きました。そこでパウロが書いたのは、キリストが十字架にかけられたこと、そして、三日目に復活したこと。それだけでは留まりません。多くの弟子たちと出会い、最後にはパウロ自身とも出会ってくださった。そのお陰で今のパウロがいる。次第に、自分と主イエスとの話になっていきます。パウロは、こうやって主イエスはあなたとも出会ってくださったでしょう、そうやってあなたも救われたのでしょう、と思い出せているのです。キリストの復活は、過去のエピソードでも思い出話でもなく、今生きておられ、今日わたしと出会ってくださっているキリストと、このわたしとの話です。その復活体験が信仰の基礎なのです。そうであるならば、一体どこでキリストは私たちと出会ってくださるのでしょうか。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。」それなら、どこを探したら良いというのでしょう。どうしたらキリストにお目にかかれるのでしょう。彼らはちゃんとそれに答えています。「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」イエスの言葉を思い出せ、と言うのです。十字架と復活を語るキリストの言葉を。イエスの言葉を思い出したときに、婦人たちは変わりました。それまでは墓に向かって生きていました。悲しみの中に沈み込んでいました。絶望的な過去にしがみついていました。しかし、イエスの言葉を思い出したとき、それが胸に落ちたとき、向いている方向が変わったのです。墓に向かっていたのが、墓から、他の弟子たちのところへ、まだ悲しんでいる仲間たちのところへ向かって行きました。なぜなら、イエスの言葉を思い出したときにイエスと出会ったからです。キリストはご自分の言葉を思い出させることで私たちと出会ってくださいます。ご自分の十字架と復活を私たちの耳に届け、私たちの心に刻むことで、キリストは私たちと出会い、生きる向きを変えてくださるのです。実はこの福音書第24章の三つの物語は全部そうです。信じられない弟子たち。13節以下のエマオへの途上の物語りでも、イエスが共に歩んでいても信じられない弟子たちに、キリストは十字架と復活の話をなさいました。御言葉によってキリストは出会ってくださるのです。それは私たちとの出会いです。

マルコによる福音書第4章26から33節「空の鳥が巣を作るほどに」

主イエスは、世界一の説教者です。実にイメージ豊かな譬え話をたくさんしてくださいました。土に種を蒔く人。その情景を想像します。どんな種、どんな茎、葉でしょう。穂と言うからには麦でしょうか。実りの時、収穫の喜びの時を迎えます。もう一つはからし種です。小さな種です。ごまより小さい。でも...