2018年8月12日日曜日

祈りの言葉

本日はルイビル日本語教会の佐藤岩雄牧師が説教をしてくださいました。今回は「今日の説教」ではなく、週報に掲載した祈りの言葉をご紹介します。加藤常昭著『祈り』より、8月12日の祈りの言葉です。


わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。(コリントの信徒への手紙二第68から10節)

主イエス・キリストの父なる御神、私たちはあなたに召されました。あなたの栄光を表すために。主イエスの弟子となり、主イエスに倣い、教会に仕えるために。あなたが与えてくださった聖霊の賜物により、福音を宣べ伝え、ひとを愛する戦いに参加しています。しかし、この世におけるわたしの姿は貧しさそのものです。自分で自分に躓きそうです。このままでは、このまま死んでしまうだけかとさえ思います。そのとき、先達パウロの声が聞こえます。ごらん、そこで既に生きている、全くの無一物のようでありながら、豊かであり、その豊かさが人を生かしているではないか、と。そのような主の恵みは、わたしの貧しさ、惨めさの中で豊かに実るのです。わたしは、このように生きている。屈んでいた背を伸ばして、わたしは叫びます。ごらん、いつも喜んでいる。主と共に!アーメン。

2019年1月17日(創世記30)

今日の通読箇所:マタイによる福音書13:1-30、創世記30 、詩編21 創世記30; 人間の思惑がうごめいている章です。ヤコブの二人の妻、レアとラ ケル。彼女たちの召使いであるジルパとビルハも巻き込まれます。 この章の前半で、ヤコブには11人の男の子と一人の女の子が生ま...