2019年8月14日水曜日

2019年8月14日(エズラ記1〜2)

今日の通読箇所:コリントの信徒への手紙一13、エズラ記1~2、コヘレトの言葉9

エズラ記1~2;
エズラ記は「ペルシアの王キュロスの治世第一年(1:1)」から始まります。紀元前539年のことです。ユダを滅ぼしたのは新バビロニアでしたが、その後興隆したアケメネス朝ペルシアがバビロンを倒し、ユダはそのままペルシアの属州として、その支配下に移りました。ペルシアの王キュロスはユダの民の解放を決め、ユダの人々の多くは遠く故国に帰っていくことになりました。ただ、皆が一度に帰ったわけではありません。最初に帰った第一陣が、今日の第2章の名簿に書かれている人たちです。
「バビロンの王ネブカドネツァルがバビロンに連れ去った捕囚の民のうち、この州に帰還した人々は次のとおりである。彼らはエルサレムとユダのそれぞれの町に帰った(2:1)」。そうして、長い名簿が連なっていきます。私たちにとっては知らない人の名前ばかりですから、読んでいても退屈な章です。しかし、帰還民にとってこの名簿がどんなに尊い意味を持っていたのかは、想像するにあまりあります。ここに名前が記されている人たちは、バビロンとの敗戦から70年経って恐らく世代も変わっていたでしょうが、遠い時と場所を隔てた故郷へ帰ることのできた人たちです。いくら戦争に伴う強制移住とは言え、70年も経てば新しい場所に生活の基盤ができるし、捕囚2世にしてみれば彼の地が生まれ故郷になります。そういう生活を捨てて、神が与えてくださった地へ旅をしていった。それはアブラハムと同じ信仰だったのではないでしょうか。まさに、私たちは地上では旅人であり、天の故郷を目指していることを証ししています。
彼らの使命は「主の神殿を建てなさい(1:3)」といわれているとおり、礼拝の再建です。私たちも、同じ信仰に生きています。神を礼拝するために、この世界で神の与えてくださる故郷を目指して旅をしているのです。

2025年7月18日の聖句

私たちの背きは眼前に立てられていて、私たちは自らの罪を知っています。私たちは主に背いて欺きました。(イザヤ59:12~13) たとえ罪を犯しても私たちには御父のもとに弁護者、正しい方イエス・キリストがおられます。(1ヨハネ2:1) なんとありがたく、恵みに満ちた御言葉なのでしょう...