2019年11月14日木曜日

2019年11月14日(エゼキエル書29〜30)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書17、エゼキエル書29~30

エゼキエル書29~30;
「第十年の第十の月の十二日」(29:1)という日付がついた、預言者エゼキエルに臨んだ主の言葉です。第十年と言えば、エルサレムがバビロンに包囲されている最中のことです。そういう時代に、エゼキエルはエジプトについて語られる神の言葉を聞きました。
これもティルスと似ていて、エジプトの傲慢を打つ、という内容です。「主なる神はこう言われる。エジプトの王ファラオよ、私はあなたに立ち向かう。ナイル川に腹ばう大きな鰐よ、あなたは『ナイル川は私のもの、私がこれを造った』と言っている」(3節)。だから、この裁きを通して、「こうして、エジプトのすべての住民は、私が主であることを知るようになる」(6節)と告げられています。
エジプトはイスラエルにとっては、あるときには脅威であり、あるときには頼り切ってその力の元に身を寄せた相手でもありました。そんなときにはエジプトを頼みとするあまりに神を忘れました。この時代の少し前には、ユダの名君ヨシヤ王がネコ王率いるエジプトに敗れ、そのためにユダの滅亡が決定づけられるようないきさつもありました。そういう相手を神が裁くと言ったら、どうでしょうか。自分たちの復讐心を満足させるために、これから自分たちが蒙るであろう痛みに倍する苦しみを与えてほしいと考えるのではないかと思います。しかし、神様はそのようにはおっしゃいませんでした。
エジプトの住民が、主なる神様を知るために。それが、神の裁きの目的です。「私がエジプト人を諸国民の中に散らし、国々に追い散らすとき、彼らは私が主であることを知るようになる」(30:26)と神様はおっしゃいます。
新約聖書にこのような言葉があります。「誰にも悪をもって悪に報いることなく、すべての人の前で善を行うよう心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に過ごしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐は私のすること、私が報復する』と主は言われる。」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ12:17~21)。自分の怒りや憎しみさえも神様にお任せする深い信仰を、祈り求めたいと願います。善を行えと言いますが、この『善』というのは、キリストが私のためにしてくださったことなのではないでしょうか。

2024年5月17日の聖句

あなたは寄留者を抑圧してはならない。あなたがたは寄留者の気持ちが分かるはずだ。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。(出エジプト記23:9) 正しい人たちが王に尋ねた。「主よ、いつ、見知らぬ方にお宿をお貸ししたでしょうか。」王は答えた。「よく言っておく。この最も小さな...