2019年11月29日金曜日

2019年11月29日(ダニエル書9〜10)

今日の通読箇所:ヨハネの手紙三、ダニエル書9~10

ダニエル書9~10;
見よ、手が私に触れ、私の膝と手の先を揺さぶった。彼は私に言った。「愛される者ダニエルよ、私があなたに語る言葉を聞いて悟れ。あなたがたいる場所に立て。私は今、あなたのところに遣わされて来たのだ。」この言葉が私に語られたとき、私は震えながら立ち上がった。彼は私に言った。「ダニエルよ、恐れるな。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだった最初の日から、あなたの言葉は聞かれているからだ。私はあなたの言葉のゆえにやって来た」(10:10~12)。
ダニエルは大いなる幻を見、そのために大変恐れ、茫然自失としてしまいました。再び自分で立つことができなかった。それで、神の天使がダニエルにその手を触れたのです。天使は「愛される者ダニエルよ」と呼びかけます。誰に愛されているのでしょうか。もちろん、神様からという意味でしょう。神がダニエルを愛してくださっている。それは、ダニエルが神の前にへりくだって、神を礼拝する者であったからです。ダニエルの言葉を、神は耳を傾けて聞いてくださっていました。
第9章に戻ると、興味深いことに、ダニエルはエレミヤ書を読んでいたようです。「王の治世第一年、私ダニエルが文書を読んで理解したのは、預言者エレミヤに臨んだ主の言葉によれば、エルサレムの荒廃が終わる年数は七十年だということである」(2節)。もちろん、今私たちが手にしているのと同じかたちの、まとまったエレミヤ書であるかどうかは分かりません。しかし、少なくともその核になるメッセージはダニエルも読んでいたに違いない。それを読んだときにダニエルがしたことは、4節以下にあるとおり、悔い改めの祈りをすることでした。ここまでのダニエル書を読んできて、彼の戦いが、神を神とすることであったことを私たちは見てきました。神を神としてあがめること、それは、神の前に悔い改めの祈りをすることです。ダニエルは神の前にへりくだったのです。だからこそ、神はダニエルを愛しておられたのでしょう。
ダニエルがこの幻を見たのは、時代としても場所においても、神を信じて生きることが容易ではないときでした。そのときの彼の戦いは、ただお一人の神の前にへりくだり、このお方だけに仕えること。これに尽きました。それは、私たちも同じです。「御名が崇められますように」と私たちも祈ります。

2019年12月7日(ホセア書13〜14)

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録7、ホセア書13~14 ホセア書13~14; イスラエルよ、立ち帰れ。あなたの神、主のもとへ。あなたは自分の罪につまずいた。あなたがたは言葉を用意し、主に立ち帰って、言え。「どうぞ罪をすべて赦し、良いものを受け取ってください。私たちは唇の実を...