2020年2月10日月曜日

2020年2月10日(ローマの信徒への手紙1)

ローマの信徒への手紙1;
「キリスト・イエスの僕、使徒として召され、神の福音のために選び出されたパウロからーーこの福音は、神が聖書の中で預言者を通してあらかじめ約束されたものであり、御子に関するものです。」
この手紙は、使徒パウロが書きました。彼は自分を「使徒」と呼びます。遣わされた者という意味の言葉です。誰から遣わされたのか。もちろん、神から遣わされた。彼をキリストの福音のために召し、使徒としたのは、神です。神が彼を彼の人生へと呼び出しました。ここにいるのは天才ではなく、ただ神によって呼び出された神の僕、奴隷にすぎません。パウロは自分がそのような者であると喜んで告白します。
なぜなら、この福音、キリスト・イエスの福音があまりにすばらしいからです。このお方は神の御子であり、死者の中から復活された方です。キリストは、私たちへの神の愛のしるしです。その方が、私たちを、今ある私にしてくださったのです。キリストのゆえに、私は今あるを得ているのです。
「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です。神の義が、福音の内に、真実により信仰へと啓示されているからです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるからです。」
正しい者は、信仰によって生きる。その正しさは、私たちのすばらしい生き方が保証するのではありません。これからこの手紙を読んでいけば明らかなとおり、私たちは誰一人例外なく、罪深い者です。そして、罪の支払う報酬は死です。私たちは罪の中に神に捨てられて死ぬべき存在です。しかし、「正しい者は信仰によって生きる」のは、神がキリストを信じる者を正しいとしてくださるからです。神ご自身の力をもって、私たちをキリスト・イエスによって示された神の愛の中においてくださったのは神ご自身なのです。
だから、私たちは神様を他のものに取り替えてはならないのです。「彼らは神を知りながら、神として崇めることもせず、かえって、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなった」というのは、私たち自身のことでしょう。そのような私たちを救うために来てくださったキリストを、私たちは救い主と信じて、今日の日の歩みに出て行きましょう。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...