2020年2月12日水曜日

2020年2月12日(ローマの信徒への手紙3)

ローマの信徒への手紙3;

「神はこのイエスを、真実による、またその血による贖いの座とされました。それは、これまでに犯されてきた罪を見逃して、ご自身の義を示すためでした。神が忍耐してこられたのは、今この時にご自身の義を示すため、すなわち、ご自身が義となり、イエスの真実に基づく者を義とするためでした。」

ここのところで「これまでに犯されてきた罪を見逃して、ご自身の義を示すためでした」と言っているのは、たいへん意外なことではないでしょうか。これまでに犯されてきた罪を断罪して、ご自身の義を示すというのであれば、厳しいけれども当然のことを言っているという気がします。しかし、ここでは罪を見逃すことによって神の義が示されると言っています。どういうことなのでしょう。

この節の前半には「神はこのイエスを、真実による、またその血による贖いの座とされました」とあります。贖いの座というのは、出エジプト記25:17から22に登場しています。ここには十戒を納める箱の造り方に続けて、その蓋の造り方が書かれています。蓋には二匹の金のケルビムが据えられていて、それぞれの両翼で蓋を覆っている。ケルビムらは向かい合って、蓋の中央部を見つめています。この蓋を「贖いの座」と呼んでいます。ですから神の幕屋の一番奥には十戒を納めた契約の箱があり、その上を贖いの座が蓋になっている。その贖いの座にはケルビムが翼を広げて覆っている、という構造です。

ローマの信徒への手紙では、主イエスご自身がその贖いの座だと言っています。この贖いの座について、出エジプト記30:6では「証しの箱の上にある贖いの座の前で私はあなたに出会う」と言われています。キリストという贖いの座の前で神は私たちと出会ってくださいます。しかも、そのキリストは「真実による」贖いの座。真実というのは、キリストの真実です。「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現れました。」キリストご自身が真実な方でいてくださるから、このお方を信じる者に神の義が現れました。神の義は「キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされる」という義です。私たちは義しい者ではありません。「正しい者はいない。一人もいない」と聖書が言うとおりです。しかし、キリストの真実が私たちを義としてくださいました。だから、キリストという贖いの座の前で私たちと出会ってくださる神は、私たちの犯してきた罪を忍耐し、見逃してくださったのです。神はキリストの真実のために私たちの罪を赦すことによって、ご自身の義を現されました。私たちは、誰一人例外なく、この神の義に与っています。

2020年2月16日(ローマの信徒への手紙7)

ローマの信徒への手紙7; 「内なる人としては神の律法を喜んでいますが、私の五体には異なる法則があって、心の法則と戦い、私を、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのです。私はなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰が私を救ってくれるでしょうか。」 パウロは真剣...