2020年3月26日木曜日

2020年3月26日(マルコによる福音書6:30〜56)

マルコによる福音書6:30~56;
「弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるを見て、幽霊だと思い、叫び声を上げた。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐに彼らと話をし、『安心しなさい。私だ。恐れることはない』と言われた。」
主イエスに敷いて舟に乗せられた弟子たち。しかし、その舟の中に主はおられませんでした。舟は逆風に見舞われ、漕ぎ悩んでいます。湖の真ん中でのことです。どんなに恐ろしかったことだろうかと思います。
世界教会協議会という組織がありますが、そのシンボルマークは小舟です。弟子たちが乗るこの舟を、教会は自分たちのことだと受け止めてきました。湖の真ん中で逆風に遭い、漕ぎ悩んでいる小さな舟。私たちは、この舟に乗っています。教会という舟です。2000年間、ありとあらゆる逆風が吹いてきました。迫害、戦争、疫病、貧困、・・・。あるいは、外から吹いてくる風だけでなく、内から腐ってしまう過ちも重ねてきました。そうでなければ、逆風のゆえに主を見失う罪も重ねた。この時の弟子たちはそうでした。湖の上を歩いてきたイエスを見て、彼らは幽霊だと思いました。こんな逆風の中に主がおられるはずはないと思い込んでいたからです。
聖書の中では、しばしば水は死や滅びの象徴として登場します。ここでもそうなのだとすると、イエスがおられない小舟が湖の真ん中にあるというのは、しかもその逆風の中で主を幽霊だという不信仰に見舞われているというのは、神は死んだと言われる子の世界で教会が主を見失っている、という状況そのものです。この舟を襲っている逆風も、弟子たちの恐れも、私たち自身への問です。
しかし、主イエス・キリストは舟に近づき、おっしゃいました。「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」この「私だ」というのは特別な言い回しで、神様にしか口にすることのできない言葉遣いをしています。湖にぽつんと浮かぶ小舟で逆風に悩む弟子たちに、主は、神の子としてのご自身をお見せになった。それによって彼らは湖をなお進むことができた。これはそういう話です。
主を見て幽霊だという弟子たちの不信仰はパンのことを悟らなかったからだと説明されています。主イエスが五つのパンと二匹の魚で5000人を養われたという出来事。私たちも、この時と同じように主が祝福して与えてくださったパンを食べて生きています。聖餐のパンは、主の祝福のパンです。このパンは、神の子イエスが私たちにくださったもの。主が私たちのところへ来てくださっている事実を、畏れをもって受け止めたいと願います。

2020年3月29日(マルコによる福音書8:1〜21)

マルコによる福音書8:1~21; 「弟子たちはパンを持ってくるのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせがなかった。その時、イエスは、『ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種に十分気をつけなさい』と戒められた。そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始...