2020年6月23日火曜日

2020年6月23日(使徒言行録15:22〜41)

使徒言行録15:22~41
異邦人がキリストを信じたとき、彼は割礼を受けるべきなのか?エルサレムで使徒たちが話し合い、その必要は無いと結論づけました。その結果を伝えるために、アンティオキア教会へ帰るバルナバとパウロに、使徒たちはバルサバと呼ばれるユダとシラスの二名を同行させて派遣しました。アンティオキア教会へ励ましの言葉を届けるために。この知らせを聞いてアンティオキア教会は喜び、さらに力に満ちて主の言葉、福音の言葉を宣べ伝えました。
そこで、パウロがバルナバに提案します。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町にもう一度行ってきょうだいたちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」こうして、第二回宣教旅行が始まることになります。
ところが、今回の旅には最初から問題が起きたのです。バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて行きたかった。マルコというのは、第一回宣教旅行のときに途中で離脱してしまった若き仲間です。「パウロとその一行は、パフォスから船出したパンフィリア州のベルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった(13:13)」。このことでバルナバとパウロの間に大激論が起こります。バルナバは、マルコ(ヨハネ)にもう一度チャンスをあげたかったのでしょう。一度挫折した友を見捨てず、彼の信仰の再生をはかりたかったのだろうと思います。
しかし、パウロは違う意見でした。「しかしパウロは、以前パンフィリア州で自分たちから離れ、一緒に宣教に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。」恐らく、パウロは伝道の務めの責任を重く受け止めていたのだと思います。そして、この旅に厳しさをよく分かっていたのでしょう。事実、彼はこれまでもそうでしたが、これからも、厳しい迫害の中を旅し、鞭で打たれ、石を投げられ、投獄され、最期は殉教します。
パウロもバルナバも、間違ったことを行っているわけではありません。それだけに、彼らは折り合いをつけることができず、あれだけの盟友であったバルナバとパウロは、とうとう別行動をすることになりました。バルナバはマルコを連れてキプロス島への海路につきます。パウロはエルサレムから共にアンティオキアに行ったシラスを連れて陸路を選び、カパドキアから小アジア、ギリシアへと向かっていくことになりました。
仲間割れとも言えるかも知れません。しかし、聖書はこの事件をあまり消極的に伝えていないように思います。このような経緯があったにせよ、バルナバとパウロという素晴らしい伝道者がキプロスとカパドキアという二カ所に分かれていったことによってより広い人々が福音に聞くことになりました。教会の伝道の進展は、不思議です。人間としては失敗に見えたり、混乱に見えたりするけれど、その人間の混乱の中で神の御業は確実に進んでいきます。今も、そうです。今私たちが見舞われているコロナの混乱の中でも、私たちの思いを超えたところで神の業は確実に進んでいます。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...