2020年7月10日金曜日

2020年7月10日(使徒言行録27:1〜26)

使徒言行録27:1~26
パウロは皇帝がいるローマに向かって船で護送されることになりました。しかし、船出してすぐに向かい風のために思うように航海を進めることができなくなってしまいました。季節性の風なのでしょう。港に寄港しながら風が収まるのを待って、航海していこうとしていました。しかし、そうしている内に「かなりの時がたって、すでに断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった」と言います。断食日というのはレビ記16:29を見ると「第七の月の十日」と定められています。私たちの暦の3,4月頃に第一の月が来るので、10月か11月頃ということになる。もう冬は近い季節で、航海は危険を増してきます。それで、パウロは一行に忠告しました。「皆さん、この航海では、積み荷や船体ばかりでなく、私たちの生命にも危害と大きな損失が及ぶと、私は見ています。」しかし、パウロのその言葉は無視され、船はそこに停泊することはなく別の越冬しやすい港に向けて出港しました。結局、出港してすぐにエウラキロンと呼ばれる暴風が吹き、風に逆らって進むことができず、船に乗っていた人々は積み荷を海に捨て始め、何日も太陽も月も見えない状況の中で「ついに助かる望みもまったく絶たれて」しまいました。
パウロが、彼らの前に立って言います。「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうち誰一人として命を失う者はないのです。私が仕え、礼拝している神からの天使が、昨夜私のそばに立って、こう言いました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。私は神を信じています。私に告げられたとおりになります。私たちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」
いろいろなことを考えさせられるやりとりです。そもそもパウロは出航に反対していました。もちろん、皇帝のところに行くことが怖かったからではなく、出航の判断が危険で、無謀にも死にに行くようなものだと分かっていたからです。その言葉を無視して結局難破した船の中で、パウロは希望を語りました。パウロは囚人です。最も絶望していてもおかしくないし、脱獄のチャンスだと考えても不思議でない立場です。それでも彼は希望の言葉を語り、人々を元気づけました。立場が入れ替わってしまったかのようです。本当に自由なのは、捕らえている兵士や船を操縦していた人ではなく、この一人の囚人でした。私たちのこの世界でのあり方に、深い示唆を与える姿ではないでしょうか。私たちの口にも、この世界という船の中で語る希望の言葉が、神さまから託されているのです。

2024年3月19日の聖句

逃れ場は、いにしえからおられる神のもとにある。(申命記33:27) 心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんある。(ヨハネ14:1~2) 主イエス・キリストが私たちのための住まいを父の家に準備してくださっています。「逃れ場は、いにしえか...