2020年7月30日木曜日

2020年7月30日(エフェソの信徒への手紙5)

エフェソの信徒への手紙5
「あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。光の子として歩みなさい。」
聖書は私たちを思っても見なかった世界に連れ出します。「あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。」驚くべき言葉です。以前は闇だった。そう言われれば、確かにそれはその通り。しかし、聖書はそこで留まりません。「今は主にあって光となっています。」それが、私たちの新しい「私」なのだと聖書は宣言します。例え私たちが「たしかに私は今は光だ」と思えなかったとしても、事実私たちは今や光です。以前は闇であった私たちを、神が光にしてくださったからです。
今私は必要があって十戒の勉強をしているのですが、十戒のメッセージも同じだと思います。「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。」かつて、あなたたちはエジプトの地にいて、そこで奴隷であった。しかし、今は違う。今は私があなたたちを自由にした。神様はそのように言われます。そして、奴隷であった者が奴隷ではない者、自由な者として生きるための指針として、十戒を示してくださいました。最初に主なる神様が言われるのは、「あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない」ということです。私たちを奴隷ではなく自由人にし、闇ではなく光にしてくださった神様のもとを離れては、私たちは再び奴隷や闇に、元の木阿弥になるしかありません。だから、私を光にしてくださった主なる神様のもとに生きることこそが、私たちが本当に自由に、そして私らしく生きることのできる場なのです。
エフェソの信徒への手紙は、そのことを「光の子として歩みなさい」と言います。私たちは、今はもう光。だから、光の子として生きていく。この手紙では、光の子としての歩みを愛や平和、和解というイメージで伝えていました。互いに相手をたてあげる言葉を口にしよう、とパウロは呼びかけます。そういう愛の言葉は、十戒が示す神の戒めを全うする言葉であるに違いありません。キリストの和解の御業の中に建てられる教会は、本当に自由であり、光に満ちた、生き生きとした場です。神様は、私たちをキリストのお体にしてくださっています。私たちは自分の良さを喜んだり悪さを憂えたりするのではなく、私たちの内に始めてくださっている神の光の御業を信じ、信頼して、一つの教会として歩んでいきたいと願います。

2020年8月3日(コリントの信徒への手紙一3)

コリントの信徒への手紙一3 「ある人が『私はパウロに付く』と言い、他の人が『私はアポロに』と言っているようでは、あなたがたはただの人ではありませんか。アポロとは何者ですか。パウロとは何者ですか。二人は、あなたがたを信仰に導くために、それぞれ主がお与えになった分に応じて仕える者です...