2020年8月1日土曜日

2020年8月1日(コリントの信徒への手紙一1)

コリントの信徒への手紙一1
コリントはギリシアの商業都市であり、当時の世界の中では文化レベルの極めて高い場所でした。パウロの宣教旅行の中で、この町に教会が生まれました。パウロは各地で伝道したのでしばらくするとコリントを離れましたが、その後この教会は混乱し、パウロに敵対的な気持ちを抱くようになります。それだけではなく、そもそもキリストの福音から離れてしまったところがある。信じているつもりだが、その信仰が曲がってしまっている。それで、パウロはこの手紙を書きました。彼らをもう一度キリストのもとに呼び戻すために。
そこで、パウロは信仰の急所に立ち帰る言葉を記します。「十字架の言葉は、滅びゆく者には愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。」「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」
十字架の言葉。それがキリストの福音の急所です。しかしそれは、多くの弟子を集めながら道半ばで自分の弟子に裏切られて捕らえられ、ローマという世界の支配者の手で死刑にされた一人の貧しい男の話です。ギリシアの豊かな都市コリントの人々から見て、それはどんなに愚かな話だったことでしょう。いや、私たちにとって他人事ではありません。私たちが信じている福音は、この世から見たら愚かな話なのです。2000年も前に磔にされた一人の男を救い主と信じ、神の子と信じているのです。それが愚かでなくて何なのか。
しかし、その愚かさが福音の急所だとパウロは言います。福音の愚かさは私たち自身が賢いわけでもなく、この世の力ある者ではないことに通じます。「神は知恵ある者を恥じ入らせるために、世の愚かなものを選び、強い者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました。すなわち、力ある者を無力な者にするため、無に等しい者を選ばれたのです。それは、誰一人、神の前で誇ることがないようにするためです。あなたがたキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。」私たちが救われたのは、ただただ、神様のおかげです。だから、誰も誇ることができない。私たちの弱さによってそのことが明らかになります。神ご自身が十字架というご自分の弱さと愚かさによって私たちを救ってくださったからです。神の弱さ、愚かさである十字架の言葉こそ救いの急所なのです。

2020年8月3日(コリントの信徒への手紙一3)

コリントの信徒への手紙一3 「ある人が『私はパウロに付く』と言い、他の人が『私はアポロに』と言っているようでは、あなたがたはただの人ではありませんか。アポロとは何者ですか。パウロとは何者ですか。二人は、あなたがたを信仰に導くために、それぞれ主がお与えになった分に応じて仕える者です...