2020年8月31日月曜日

2020年8月31日(コリントの信徒への手紙二13)

コリントの信徒への手紙二13
「終わりに、きょうだいたち、喜びなさい。初心に帰りなさい。励まし合いなさい。思いを一つにし、平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。聖なる口づけをもって、互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者たちがあなたがたによろしくと言っています。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように。」
この最後の言葉は、私たちの礼拝でも祝福の言葉として告げられているものです。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように。」ここには主イエス・キリスト、神、聖霊からの祝福が宣言されています。後の教会は神様のこのようなあり方を「三位一体」と言い表しました。三位一体がキリスト教会の教理として整理されたのは、聖書が書かれた時代よりもしばらく経ってからです。聖書それ自体に三位一体という言葉はない。しかし、こういう神の祝福を告げ、これを宣言する言葉の中で三位一体なる神の祝福がすでに告げられている。この言葉は、恐らくパウロのオリジナルではなかったのではないかと思います。当時の礼拝でこの言葉が交わされていたに違いない。三位一体というのは、どこかの学者が研究室で編み出した理屈ではなく、礼拝における祝福の体験から告白された言葉です。神が私たちにくださる祝福を共に分かち合う言葉が、このように表現されている。
礼拝は、独りぼっちでなされる業ではありません。私たちは、一人っきりでキリスト者として生きるのではなく、神の平和と祝福を告げる挨拶を互いに交わす教会の兄弟姉妹と共に神を信じています。
そんな私たちキリスト教会にパウロがこの手紙の最後で勧めることは、「初心に帰ること」です。初心というのは、私は、コリントの信徒への手紙一で熱心にパウロが語っていたとおり、キリストの十字架という神の弱さによって救われたという事実であると思います。神がこのような私をも救ってくださった。その事実が、私たちの原点です。キリストに救われた罪人の群れ。それが教会です。この初心にいつも帰り、この原点から新しくはじめる和解の共同体。それが、キリスト教会です。

2024年4月20日の聖句

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