2020年9月1日火曜日

2020年9月1日(ガラテヤの信徒への手紙1)

ガラテヤの信徒への手紙1
「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、この方を死者の中から復活させた父なる神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、私と共にいるきょうだい一同から、ガラテヤの諸教会へ。」
パウロは、人々に推薦されて使徒になったわけではありません。誰かがパウロの後ろ盾になって、福音宣教者になったのでもない。ただイエス・キリストによって、そして、キリストを死者の中から復活させた父なる神とによって、使徒とされた。それがこのパウロという人です。
ある人がこういうパウロの自己認識は、まるで寒風吹きすさぶ真空の中に宙づりにされているようだと言っていました。真空なのに寒風が吹きすさぶというのはよく考えるとおかしいのですが、イメージとしては伝わるものがあります。何者にも頼らない。どこの権威にも寄りかからない。たった一人で、ただ神によって召されたという事実だけに立つ。それがこのパウロという人です。
この自己認識は強いと思います。パウロをご自分の使徒として召した神様は、私たちのことをも召してくださっています。私たちが今このように在るを得ているのは、ただキリストと、キリストを死者の中から復活させた神だけによるもの。私たちもパウロと同じように信じたいと思います。
このガラテヤの信徒への手紙は戦いの書簡です。何との戦いかと言えば、異なる福音との戦いです。異なる福音と言っても、何か別の福音があるわけではありません。ある者たちが福音と称して宣べ伝えている福音は、キリストの恵みから外れてしまった似て非なるものになりさがっている。具体的に言うと、割礼と福音との関係を問うています。詳しくは読み進めるとよく分かります。
いずれにしても、異なる福音に傾いてしまった人は少なくなかったようです。当時の教会指導者にも、その点での過ちを犯してしまった人はいた。だから、パウロは自分が誰かに推薦されたり、誰かに認められたからと言って使徒になったのではないと断言します。自分はただキリストの無償の恵みによって救われた。そのキリストが私のような者をご自分の使徒としてくださった。彼はその事実だけに集中します。
これからこの手紙を呼んで明らかになっていく異なる福音は、かたちを変えて私たちの回りにもあふれかえっていると思います。だからこそ、私たちは今朝パウロと共に立ちましょう。人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、この方を死者の中から復活させた父なる神とによってこのようにして頂いた私。寒風吹きすさぶ真空に宙づりにされる恵みに、私たちも招かれています。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...