2020年9月9日水曜日

2020年9月9日(フィリピの信徒への手紙3)

フィリピの信徒への手紙3
「そればかりか、私の主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに私はすべてを失いましたが、それらを今は屑と考えています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。私には、律法による自分の義ではなくて、キリストの真実による義、その真実に基づいて神から与えられる義があります。」
「きょうだいたち、皆一緒に私に倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、私たちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵として歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、地上のことしか考えていません。しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから、救い主である主イエス・キリストが来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」

少し長い引用をしましたが、今日の御言葉は、聖書の言葉そのものの味わいが本当に素晴らしいと思います。私たちの生き方を問い返す言葉です。キリストの十字架に敵として歩んでいる者が多い、とパウロは涙ながらに訴えます。私たちにも、キリストの十字架に立ち帰れと叫びます。あるいは、キリストの十字架に敵対するこの世に倣うな、と警告します。むしろ、パウロを私たちの生き方のモデルにしたら良いと言うのです。
パウロはどうやって生きたのか。キリストを知って、キリストのゆえにすべてを失ったと言っています。かつてのパウロはファリサイ派の一員であり、教会の迫害者でした。使徒言行録を読むと、パウロが主イエスと出会って回心してキリストの使徒として生き始めたとき、今度はすぐにパウロ自身がファリサイ派からの迫害を受けるようになりました。かつての仲間から命を狙われました。パウロのは家柄も確かで受けた教育も高度であり、いわゆるエリート街道を生きてきた勝ち組でした。しかし、そういうこの世での評価を受けたあらゆる要因をキリストに出会ったがために失いました。パウロは、それらのものを惜しまなかった。むしろ、キリストを知る素晴らしさに比べれればゴミ屑に過ぎないと言うのです。
キリストの真実だけに頼って生きるパウロ。この私に倣ってほしいと言っているのだと思います。私たちの国籍は天にある。その天から、キリストが来て、私たちを救ってくださる。だから、後ろのもの、つまり人間的に自慢できるような経歴も、あるいは隠しておきたいような負の価値も、すべてを捨てて、キリストを目指して走り抜く。それが天に国籍を持つ天国人の生だとパウロは言うのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...