2020年8月14日金曜日

2020年8月14日(コリントの信徒への手紙一13)

コリントの信徒への手紙一13
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。妬まない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、怒らず、悪を企まない。不正を喜ばず、真理を共に喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
この聖書の御言葉は、美しい、輝く宝石のようです。しかしそれを眺めているだけでは意味がありません。宝石は金庫にしまい込むよりも、その美しさは身を飾るときに輝くのではないでしょうか。愛は、それをたんに眺めて感心したり、聖書が書いているようにはできないと言って嘆いたりするためのものではありません。この美しく輝く宝石は私たち自身を美しく装い、その美しさはもはやこれを身につけている私たち自身の美しさになるのです。私たち自身が愛の美しさをもって我が身を美しくすることができる。それが、キリストが私たちの起こしてくださる愛の奇跡です。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。本当にその通りであると思います。そして、それが本当に難しい。人に忍耐を強いることは簡単ですが、人のために少しでも忍耐するのは簡単なことではありません。ほんの僅かな忍耐をしただけで、自慢し、高ぶりたくなります。ここを読んでいて驚くのは、「全財産を人に分け与えても、焼かれるためにわが身を引き渡しても、愛がなければ、私には何の益もない」と言っていることです。全財産を人に分け与えたり、焼かれるためにわが身を引き渡したり、そういうことが愛がなくてもありうるといっています。それは、僅かな行いを自慢したり、高ぶったりしてしまう心根と似ているのかも知れません。
私たち自身の心の中をいくらのぞき込んで探しても、愛は見つからないのだと思います。本当に自分に正直になればなるほど、自分の利益を求めたり、怒ったり、悪を企んでいることが私の現実だと言わざるを得ない。しかし、キリストの愛の奇跡は私たちの内にも必ず起こります。これは私たちではなくキリストに属している事柄です。愛はすべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐えます。キリストの御業がこの私の内にも働いていることを、私たちは望みの内に信じます。
キリストの愛の奇跡がこの私にも始まっている。それは、何と美しく、輝かしい、甘美な希望でしょう。キリストを信じる私たちの内に、キリストは愛という宝石を飾ってくださっています。

2020年10月22日(ヨハネによる福音書4:1~30)

ヨハネによる福音書4:1~30 「主よ、あなたは汲む物をお持ちではないし、井戸は深いのです。どこからその生ける水を手にお入れになるのですか。」 サマリアの女と主イエスとの対話です。生ける水を与えようというイエスの言葉をいぶかしく思って、彼女は問いただしました。「主よ、あなたは汲む...