今日の通読箇所:ルカによる福音書16、ルツ記3~4、詩編146
ルツ記3~4;
ルツ記後半で繰り返し登場する言葉は「親戚」という言葉です。日本聖書協会共同訳では、この単語に訳注が付いています。「贖いの義務・権利」あるいは、それを果たすべき人物を指します。原語のヘブライ語では「ゴーエール」という単語です。
イスラエルでは、律法の定めによりゴーエールの責任を負う人がいました。兄が子どもを残さずに死んだとき、兄の妻と結婚し、生まれた子どもは兄の子どもとして兄の家名を継ぎます。以前にも出てきました「レビラート婚」と呼ばれる制度です。失われつつある家名を保ち、神に与えられた先祖伝来の地を守るための人。その責任を負う人をゴーエール、贖い主と言います。ルツ記の場合、ルツを妻として迎えるためにボアズがゴーエール、贖う人になっていきます。
ボアズの振る舞いを見ると、士師記の最後の醜聞と同時代の話なのだろうかと思うほどに、ルツを尊重し、大切にしていると思います。彼は、ルツが側に来たらすぐに手を出すようなことをしませんでした。聖書の定めるところに従って、正規の手続きを経て彼女を迎え入れいました。おのおの正しいと思うことを、世間の皆がしていた時代に、聖書が教えるところに従って生きていたのです。
このボアズとルツの間に生まれた子がオベド。その子がエッサイ、そしてエッサイの子がダビデです。ボアズとルツはダビデの曾祖父母にあたります。そして、もちろん、この家系は主イエスにまで至ることになる。主イエスは、家名どころか私たちの存在その者が失われているのに、私たちを買い戻し、神のものとするためのゴーエール、贖い主になってくださいました。主イエスが、私たちのための責任を負ってくださいました。私たちは、イエス・キリストという贖い主によって命を与えられました。今日も、贖い主イエス・キリストの恵みと祝福がありますように。
2024年12月27日の聖句
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