私は主に信頼しているのだ。
なのにどうしてあなたがたは私に言うのか
「鳥のように山へ飛んで行け」などと。(詩編11:1)
自分の確信を捨ててはいけません。この確信には、大きな報いがあります。(ヘブライ10:35)
「鳥のように山へ飛んでいけ。」私たちになじみの深い日本語で表現すれば、尻尾を巻いてとっとと逃げろ、といったことでしょうか。早くどこにでも行け、ここから立ち去れ。そのようになじられ、追い出され、居場所を失った悲しみが込められた言葉です。誰もが、何らかの形で経験したことのあるさみしさ、心細さ、屈辱的な思いではないでしょうか。いるべき場所を失い、役割を失い、人との関係を断たれる悲しみ。「鳥のように山へ飛んでいけ。」
今日与えられているもう一つの御言葉、新約の御言葉はこのように言います。「自分の確信を捨ててはいけません。この確信には、大きな報いがあります。」神が報いてくださる。だから、試練の中で踏みとどまれ、と訴えます。神を見上げているからです。
先ほどの詩編第11編でも、もう少し読み進めるとそういう言葉が出てきます。「主は聖なる宮におられる。主はその座を天に置かれた。その目は見つめる。そのまなざしは人の子らを調べる。」神が見つめていてくださることに信頼するから、人々のはやし立てるような声には惑わされない。
私たちが経験するいろいろな人間関係の中での悲しみや苦しみ、やるせない思い、そういう一つひとつの思いを、神が知っていてくださいます。神が報いてくださいます。私たちのために忍耐を貫いた主イエス・キリストを一心に見つめて、今日の一日も生きていきたいと願います。
なのにどうしてあなたがたは私に言うのか
「鳥のように山へ飛んで行け」などと。(詩編11:1)
自分の確信を捨ててはいけません。この確信には、大きな報いがあります。(ヘブライ10:35)
「鳥のように山へ飛んでいけ。」私たちになじみの深い日本語で表現すれば、尻尾を巻いてとっとと逃げろ、といったことでしょうか。早くどこにでも行け、ここから立ち去れ。そのようになじられ、追い出され、居場所を失った悲しみが込められた言葉です。誰もが、何らかの形で経験したことのあるさみしさ、心細さ、屈辱的な思いではないでしょうか。いるべき場所を失い、役割を失い、人との関係を断たれる悲しみ。「鳥のように山へ飛んでいけ。」
今日与えられているもう一つの御言葉、新約の御言葉はこのように言います。「自分の確信を捨ててはいけません。この確信には、大きな報いがあります。」神が報いてくださる。だから、試練の中で踏みとどまれ、と訴えます。神を見上げているからです。
先ほどの詩編第11編でも、もう少し読み進めるとそういう言葉が出てきます。「主は聖なる宮におられる。主はその座を天に置かれた。その目は見つめる。そのまなざしは人の子らを調べる。」神が見つめていてくださることに信頼するから、人々のはやし立てるような声には惑わされない。
私たちが経験するいろいろな人間関係の中での悲しみや苦しみ、やるせない思い、そういう一つひとつの思いを、神が知っていてくださいます。神が報いてくださいます。私たちのために忍耐を貫いた主イエス・キリストを一心に見つめて、今日の一日も生きていきたいと願います。