ラベル 32ヨナ書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 32ヨナ書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年12月15日日曜日

2019年12月15日(ヨナ書)

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録15、ヨナ書

ヨナ書;
預言者ヨナは、アッシリアの大いなる都ニネベに行って預言するように主なる神様に命じられました。アッシリアは、やがてイスラエル王国を滅ぼすことになる国です。アッシリアはイスラエルにとって、宿敵どころか脅威そのものです。ですから、ヨナは神の命令を拒みました。ヤッファに下り、タルシシュ行きの船に乗り込んだ。ニネベは現在のイラクに、タルシシュは現在のトルコにあります。ですから、陸路で東に行くべきところを海路で北西に向かった。正反対に逃げたのでした。
ところがその船は大嵐に遭い、船から海に放り込まれ、神が遣わしてくださった大きな魚に呑み込まれて再び陸地に吐き出されたヨナは、もう一度神様からニネベに行くように命じられました。「さあ、立って、あの大いなる都ニネベに行き、私があなたに語る宣告を告げよ」(3:1)。この二度目のヨナへの命令は、1:2にある、最初のニネベへ行けという主の命令とほとんど同じ言葉です。主は、ヨナを無理矢理ニネベに連れて行くのではなく、自分の意志で神に従ってほしいと願っておられたのではないでしょうか。だから、同じようにお命じになったのではないでしょうか。
それに促されてヨナがニネベに行って神の裁きを宣告すると、ニネベの人々は「大きな者から小さな者に至るまで」(3:5)悔い改め、生き方を改めました。それを御覧になった神様は、裁きを思いとどまったのです。
それを見て怒ったのがヨナでした。「ああ、主よ、これは私がまだ国にいたときに言っていたことではありませんか。ですから、私は先にタルシシュに向けて逃亡したのです。あなたは恵みに満ち、憐れみ深い神であり、怒るに遅く、慈しみに富み、災いを下そうとしても思い直される方であることを私は知っていたのです」(4:2)。つまり、不倶戴天の仇であり、本来神に滅ぼされるはずのアッシリアが悔い改めて、神が裁きを思い直されたことが、許せなかったのです。
神様はそれに直接反論せずに、ヨナのために一本のとうごまの木を生えさせました。熱い日差しを遮る木陰を造り、彼は喜んだ。ところが、次の日にはそれは枯れてしまいました。ヨナは言います。「生きているより死んだほうがましです」(4:8)。その怒りは正しいのか。神はヨナに問います。当然だとヨナは答える。それに対して、主は言われます。「あなたは自分で労することも育てることもせず、ただ一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうぼまをさえ惜しんでいる。それならば、どうして私が、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、右も左もわきまえない12万人以上の人間と、おびたただしい数の家畜がいるのだから」(10~11節)。
ヨナの物語はこれで終わりです。この言葉にヨナがどう答えたのか、この後どうしたのか、聖書は語りません。きっと、この続きは私たちに任されているのでしょう。この神の呼びかけにどう答えるのか、それは私たちの課題なのだと思います。主の語りかけに、あなたは何と答えますか?

2015年11月22日日曜日

ヨナ書第4章1から4節「神にとっての”当たり前”」

ヨナはイスラエルの預言者でした。しかし、主なる神はヨナに仰せになります。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」ニネベはイスラエルの敵国アッシリアの首都です。ヨナはそれを拒み船に乗って反対方向へ遠ざかりました。しかし、主が大風を起こし、海は大荒れとなり、船は今にも砕けんばかりになりました。乗船していた者たちはそれぞれ自分の神に祈ります。しかし、ヨナだけは船底で居眠りしていました。人々はヨナに怒り、ヨナが主の前から逃げてきたと知ると、恐れます。ヨナは「わたしの手足を捕らえて海にほうり込むがよい」と言いました。そして海にほうり込まれたヨナのために、主は魚を送り、のみ込まれた彼は三日三晩腹の中で過ごしました。再び主が魚に命じたので、ヨナは陸にはき出されました。そんなヨナに主は再びニネベへ行けと命じられる。遂に彼はそれに従い、ニネベの町で叫びました。「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる。」意外なことにニネベの人々は町人から王に至るまでこの言葉を受け入れ、神の前に悔い改めました。神はそれをご覧になって、ニネベを滅ぼすことを思い直されました。そして、ヨナは怒りました。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。(略)わたしには、こうなることが分かっていました。」ヨナは不満でした。ニネベの人々が悔い改めて裁きを免れたことが。なぜか。ニネベ、つまりアッシリアはヨナやイスラエルの人々にとっては許しがたい敵です。しかも、イスラエルは大国アッシリアに苦しめられていたのです。あんな連中は早く滅びてしまえば良いと思っていたのです。しかし、主が語る言葉をニネベの人々が聞けば、悔い改めるに違いないとヨナは考えていました。だから、彼は逃げた。憎きニネベが滅びることがヨナの望む当然の報いなのです。ヨナはニネベがどうなるか見届けようと、暑い日差しの中で高みの見物を決め込みました。主はヨナのためにとうごまの木を生えさせ、ヨナのための日陰を作ります。ヨナは喜びました。しかし、翌日神はその木を枯らしてしまいました。ヨナは再び怒ります。主は彼に仰せになりました。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」この問いでこのヨナ書は終わります。ヨナ書は読む者に「神の当たり前」を突きつけます。主にとって、滅んで当然の者などいないのだ、と。お前を憎む者のことをも神は惜しむのだ、と。神の当たり前を、あなたの当たり前としますか?

2026年7月30日の聖句

自分の神を知る民は揺るがず行動する。(ダニエル11:32) 聖なる方、真実な方がこう言われる。「あなたは忍耐についての私の言葉を守った。だから試練の時に、私もあなたを守ろう。」(黙示録3:7,10) 今日の御言葉は「忍耐」と言います。必ず試練の時が来る。苦しみの時に忍...