2019年5月16日木曜日

2019年5月16日(ルツ記1〜2)

今日の通読箇所:ルカによる福音書15、ルツ記1~2、詩編145

ルツ記1~2;
今朝与えられた新約聖書の御言葉は、失われた羊、失われた銀貨、失われた息子を求める神の、失われた者への熱い思いを伝えています。ご自分のもとへ立ち返る者を、父なる神様は、死んでいた者が生き返ったといって喜んで迎えてくださいます。
ルツも、神様のもとへ帰った人です。もちろん、彼女は異邦人で、もともと主なる神様を信じていたわけではありません。あの弟息子のように神様から遠く離れて出て行ってしまったわけではありません。しかし、異邦人であろうが誰であろうが、神様が造ってくださった人間であることに何ら変わりはない。ご自分のもとへやってくる者を、神様は喜んで迎え入れてくださいます。「あなたがその翼のもとに逃れて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように」(2:12)。
ルツはモアブ人の娘でした。その地に飢饉を逃れてやってきた一人の若者とで会い、結婚した。ところが彼も、彼の兄も死に、姑のナオミと二人でナオミの故郷ベツレヘムに帰ります。ナオミはルツを里に帰らせようとしましたが、ルツはそうしませんでした。「あなたの民は私の民。あなたの神は私の神です」(1:16)。夫と二人の息子を喪ったナオミは悲しみに暮れてしました。しかし、ルツは彼女に寄り添い続けました。
そんなルツを助けたのが、ボアズという人です。ボアズの畑で落ち穂拾いができるように助けてくれました。落ち穂拾いは、貧しい者や寄留者のための権利として認められていました。「土地の実りを借り入れる場合、あなたがたは畑の隅まで拾い集めてはならない。・・・貧しい人や寄留者のために残しなさい。私は主、あなたがたの神である(レビ記19:9、10b)」。ボアズは、神の言葉である律法に忠実な人だったのです。
これは、「士師たちが世を治めていた頃(1:1)」の話です。あの罪に罪が積み重なるような悲惨な時代に、このようにひっそりと神に忠実に生きる者と、神に身を寄せる者がいました。誰も知らないひっそりとした場所から、今神様の大いなる御業が始まろうとしています。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...