主を喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩編37:4)
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。(マタイ7:11)
「主はあなたの心の願いをかなえてくださる」と聖書は言います。この言葉を聞いてどのように思われるでしょうか。「本当にそのとおりです」と思われるでしょうか。それとも「嘘だ。私には良いものをくださらなかった」と思われるか。感じ方は人によって様々ではないかと思います。あなたはどのように思われますか。
主イエスは言われます。「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。」主は、私たちの「親心」を引き合いに出しておられます。親であれば子どもに良い物を与えたいと考えるはずだ。パンを欲しがる子どもに石を与える親はいないし、魚を食べたいと言っている子どもに蛇を与えるようなことはしない。もしあなたが悪人だったとしても、親として自分の子どもには良い物を与えようとするではないか。私たちでさえそのような親心を持っているならば、まして天におられる父はいちばん良い物をくださるはずだ。主の御言葉に促されて、まず何よりも天の父の慈しみを信頼しましょう。
さらに問わないわけにはいかない。私たちにとって一番良い物とは一体何か。私たちは何を求めて生きているか。私たちの深いところにある求めやニードは一体何か。少し角度を変えて問います。私たちは「十字架」が答であるような求めを持っているでしょうか。「キリストの復活」が自分の必要であると気付いているでしょうか。「主の弟子として従うこと」が自分にとって何よりも大事な価値だと私たちは知っているでしょうか。私たちは、何を求めて生きているでしょうか?
「主を喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」この御言葉は私たちの願いや求めを新しくします。主を喜びとし、主を賛美することこそが私たちの真の幸せだと気付かせます。私たちが主を賛美するために生きているのだと、私たちはキリストの与えてくださった賜物によって知るのです。つまり、キリストが私たちに与えてくださる最良の贈り物である聖霊によって、私たちは新しくなり、神に向かって生き、神を求める者として新しく生まれるのです。天の父の子として!
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩編37:4)
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。(マタイ7:11)
「主はあなたの心の願いをかなえてくださる」と聖書は言います。この言葉を聞いてどのように思われるでしょうか。「本当にそのとおりです」と思われるでしょうか。それとも「嘘だ。私には良いものをくださらなかった」と思われるか。感じ方は人によって様々ではないかと思います。あなたはどのように思われますか。
主イエスは言われます。「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。」主は、私たちの「親心」を引き合いに出しておられます。親であれば子どもに良い物を与えたいと考えるはずだ。パンを欲しがる子どもに石を与える親はいないし、魚を食べたいと言っている子どもに蛇を与えるようなことはしない。もしあなたが悪人だったとしても、親として自分の子どもには良い物を与えようとするではないか。私たちでさえそのような親心を持っているならば、まして天におられる父はいちばん良い物をくださるはずだ。主の御言葉に促されて、まず何よりも天の父の慈しみを信頼しましょう。
さらに問わないわけにはいかない。私たちにとって一番良い物とは一体何か。私たちは何を求めて生きているか。私たちの深いところにある求めやニードは一体何か。少し角度を変えて問います。私たちは「十字架」が答であるような求めを持っているでしょうか。「キリストの復活」が自分の必要であると気付いているでしょうか。「主の弟子として従うこと」が自分にとって何よりも大事な価値だと私たちは知っているでしょうか。私たちは、何を求めて生きているでしょうか?
「主を喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」この御言葉は私たちの願いや求めを新しくします。主を喜びとし、主を賛美することこそが私たちの真の幸せだと気付かせます。私たちが主を賛美するために生きているのだと、私たちはキリストの与えてくださった賜物によって知るのです。つまり、キリストが私たちに与えてくださる最良の贈り物である聖霊によって、私たちは新しくなり、神に向かって生き、神を求める者として新しく生まれるのです。天の父の子として!