しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わが手を逃れうる者は、一人もない。(申命記32:39)
(イエスの祈り)「父よ、あなたはすべての人を支配する権能を子にお与えになりました。こうして、子はあなたから賜ったすべてのもの、つまり永遠の命を彼らに与えることができるのです。」(ヨハネ17:1~2)
キリストこそ真の王でいらっしゃると聖書は私たちに証しします。「キリストこそ王」という言葉自体は私たちもよく耳にするし、言葉として知識としてはよく知っていることではないでしょうか。しかしそれがわたしにとって実際のところ何を意味しているのかとなると、少し心許なくなるところがあるかもしれません。
「しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わが手を逃れうる者は、一人もない。」
主はそのように言われます。私たちの神であり、王である方、私たちを支配されるお方は、私たちの命に対して権威を持っておられる。
イランから、辛いニュースが日々もたらされます。この世の中で権力を持っている人は、他人の人生を大きく変えてしまったり、時にそれを奪ったりしてしまいます。恐ろしいことです。自分にそういう権威があると考えているのでしょうか。人間や、人間の造り出した悪は時にまるで命を奪う力をもっているかのように振る舞います。しかし、罪や悪には命を造り、与える力はありません。命を与え、生かし、癒やすことはできない。
私たちは神さまの前に謙虚にへりくだらなければならないのではないでしょうか。本当はこのお方にしか命に対する権威がないことを、身を低くして認めなければならないのではないでしょうか。神を王として崇めることを止めると、人間は化け物になります。ただ神だけが殺し、生かす権威をお持ちでいらっしゃることをへりくだって認めるところから平和が始まるのではないでしょうか。
(イエスの祈り)「父よ、あなたはすべての人を支配する権能を子にお与えになりました。こうして、子はあなたから賜ったすべてのもの、つまり永遠の命を彼らに与えることができるのです。」(ヨハネ17:1~2)
キリストこそ真の王でいらっしゃると聖書は私たちに証しします。「キリストこそ王」という言葉自体は私たちもよく耳にするし、言葉として知識としてはよく知っていることではないでしょうか。しかしそれがわたしにとって実際のところ何を意味しているのかとなると、少し心許なくなるところがあるかもしれません。
「しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わが手を逃れうる者は、一人もない。」
主はそのように言われます。私たちの神であり、王である方、私たちを支配されるお方は、私たちの命に対して権威を持っておられる。
イランから、辛いニュースが日々もたらされます。この世の中で権力を持っている人は、他人の人生を大きく変えてしまったり、時にそれを奪ったりしてしまいます。恐ろしいことです。自分にそういう権威があると考えているのでしょうか。人間や、人間の造り出した悪は時にまるで命を奪う力をもっているかのように振る舞います。しかし、罪や悪には命を造り、与える力はありません。命を与え、生かし、癒やすことはできない。
私たちは神さまの前に謙虚にへりくだらなければならないのではないでしょうか。本当はこのお方にしか命に対する権威がないことを、身を低くして認めなければならないのではないでしょうか。神を王として崇めることを止めると、人間は化け物になります。ただ神だけが殺し、生かす権威をお持ちでいらっしゃることをへりくだって認めるところから平和が始まるのではないでしょうか。