2026年3月4日水曜日

2026年3月4日の聖句

主を喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩編37:4)
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。(マタイ7:11)

「主はあなたの心の願いをかなえてくださる」と聖書は言います。この言葉を聞いてどのように思われるでしょうか。「本当にそのとおりです」と思われるでしょうか。それとも「嘘だ。私には良いものをくださらなかった」と思われるか。感じ方は人によって様々ではないかと思います。あなたはどのように思われますか。
主イエスは言われます。「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。」主は、私たちの「親心」を引き合いに出しておられます。親であれば子どもに良い物を与えたいと考えるはずだ。パンを欲しがる子どもに石を与える親はいないし、魚を食べたいと言っている子どもに蛇を与えるようなことはしない。もしあなたが悪人だったとしても、親として自分の子どもには良い物を与えようとするではないか。私たちでさえそのような親心を持っているならば、まして天におられる父はいちばん良い物をくださるはずだ。主の御言葉に促されて、まず何よりも天の父の慈しみを信頼しましょう。
さらに問わないわけにはいかない。私たちにとって一番良い物とは一体何か。私たちは何を求めて生きているか。私たちの深いところにある求めやニードは一体何か。少し角度を変えて問います。私たちは「十字架」が答であるような求めを持っているでしょうか。「キリストの復活」が自分の必要であると気付いているでしょうか。「主の弟子として従うこと」が自分にとって何よりも大事な価値だと私たちは知っているでしょうか。私たちは、何を求めて生きているでしょうか?
「主を喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」この御言葉は私たちの願いや求めを新しくします。主を喜びとし、主を賛美することこそが私たちの真の幸せだと気付かせます。私たちが主を賛美するために生きているのだと、私たちはキリストの与えてくださった賜物によって知るのです。つまり、キリストが私たちに与えてくださる最良の贈り物である聖霊によって、私たちは新しくなり、神に向かって生き、神を求める者として新しく生まれるのです。天の父の子として!

2026年3月3日火曜日

2026年3月3日の聖句

イスラエルの人々は主に向かって叫び、言った。「私たちはあなたに対して罪を犯しました。私たちの神を捨てたのですから。」(士師記10:10)
(洗礼者ヨハネの言葉)「悔い改めよ。天の国は近づいた。」(マタイ3:2)

洗礼者ヨハネが「天の国は近づいた」と言っています。たいへんな言葉です。天の支配、つまり神の御支配がもうここに来ている。そうであるならば、「私の支配」は終わるということを意味します。私のために生きてきた私はもう死なねばならない、ということを意味するはずです。天の国が来たからです。神の前に古い私は死なねばならない。その事実を認めるのが「悔い改める」ということではないでしょうか。
「悔い改めよ」と言われても、悔い改めなければならないほど悪いことをした覚えなんてないと思われるかもしれません。小さな嘘やちょっとした隠し事はしたことがあるかもしれないし、ケンカをしたときに悪い言葉が口からついて出てきたことくらいはあるかもしれない。しかし、そんなに大げさに「悔い改め」と言われなければならないほどのことなのでしょうか。
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」この言葉はヨハネだけの言葉ではありません。主イエスも同じ言葉で福音を宣言なさいました。「天の国は近づいた。」主イエスがそのように宣言なさるとき、その言葉は具体的な出来事に裏打ちされていました。主イエスが来られた、という出来事です。私たちのところへ来た天の国、それは主イエス・キリストご自身です。キリストこそ、私の支配を終わらせる神の御支配そのものです。キリストを仰ぐときに私たちは気付かないわけにはいきません。私はこのお方を捨てた。私は神の子を捨てた。私たちも今日の旧約の御言葉と共に祈らなければならない。「私たちはあなたに対して罪を犯しました。私たちの神を捨てたのですから。」
主が求めておられる悔い改め、それはあんな失敗こんな悪いことという話ではありません。私の存在そのものが歪んでしまって神を捨てて生きてきたことそのものを意味している。私がひねくれ、ねじれてしまって、神様と隣人を愛して生きることができなくなっている。そんな私という存在の性根の部分が歪んでいることを主は見ておられる。存在の土台の部分において私は死なねばならないのです。
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」これは、しかし、福音の宣言です。天の国が来たのです。死んだ者を神が復活させてくださる。復活させてくださるのは、天を支配する神さまです。私があなたを復活させる。キリストを死者の中から引き上げられた神ご自身がそう宣言しておられます。

2026年3月2日月曜日

2026年3月2日の聖句

地の果てに至るまで、すべての人が主に立ち帰るように。(詩編22:28)
東から西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に宴会の席に着く。(マタイ8:11)

「東から西から」と言ったとき、私たちがいるのは、マタイがこの福音書を書いていたときには思ってもみなかった東の果ての果てでしょう。そこにも主の民が起こされています。西の果てのそのまた果てでも同じです。神さまは私たちの小さな頭で考えられる限界をはるかに超えた御業を行ってくださって、私たちは世界中から神の民として呼び集められました。人間にはできないことです。
そんな大勢の人、私たちのような地の果てにいる者も、天の国の宴会に招いてくださいました。アブラハム、イサク、ヤコブと一緒にその席に着く、と主イエスはおっしゃいます。いつか私たちがアブラハムと同じ食卓に着くことになるというのは、神さまにしかおできにならない御業ですし、想像すると愉快なことです。考えられないような神さまの御業の広がりの中に、私たちの今日の一日もおかれています。
私たちは今日私たちが生きるべく遣わされているところで、主を賛美し、主を崇めて生きていきましょう。神様の御前に、主の招きに応えましょう。そして、私たちばかりでなくすべての人に主の招きを届けるために、証しを立てる者となれますように。

2026年3月1日日曜日

2026年3月1日の聖句

3月の聖句:
イエスは涙を流された。(ヨハネ11:35)

今週の聖句:
まだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んだことにより、神は愛を示されました。(ローマ5:8)

今日の聖句:
あなたがたは生きていくために、あなたがたの神、主を愛するようにひたすら心がけなさい。(ヨシュア23:11)
神の戒めを守ること、これが神を愛することだからです。その戒めは難しいものではありません。(1ヨハネ5:3)

今日の旧約聖書の御言葉は、日本語版の『日々の聖句』を作成した人がドイツ語訳聖書から和訳したものだそうです。私はこの訳の中に出て来る「ひたすら心がけなさい」という言葉がとっても強く心に残りました。好い言葉です。私たちがひたすら心がけていることは、一体何でしょうか。聖書は他の何でもなく、主を愛することをひたすら心がけるように私たちに求めます。そうありたい、とわが心に語りかけます。
その主はどういうお方なのかというときに、今月の聖句として与えられている御言葉が心に残ります。「イエスは涙を流された。」主イエスさまは涙を流されるお方です。悲しまれるお方です。家族を亡くし、泣いている者たちをご覧になったとき、主は涙を流してくださる。その悲しみを共にしてくださる。私たちの悲しみの中に来てくださるお方です。悲しみを共にするという仕方で私たちを愛してくださったお方です。
私たちも、主イエスさまを愛します。主を愛することをひたすら心がけます。私と共に悲しみ、私のために涙を流してくださる憐れみに満ちたお方を、私たちも愛します。

2026年2月28日土曜日

2026年2月28日の聖句

どうしてあなたがたはそう逆さまなのか。まるで粘土が陶工と等しくなったかのようだ。造られた者が造った者のことで「彼が私を造ったのではない」と言い、作品が作者のことで「彼は何も分かっていない」などと口にするとは。(イザヤ29:16)
私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです。(エフェソ2:10)

もうずいぶん前に、ごく簡単な本立てを作ったことがあります。私はとても不器用なので大した物ではありませんが、今でも我が家にあって本がささっています。本立ては本を立てるために作ります。陶工は、食べ物を盛るために皿を作り、花を生けるために花瓶を作り、飲み物をいれるためにカップを作ります。
神さまが私たちをお造りになったときにも、目的をもってお造りになったのだ、と聖書は言います。「私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです。」神さまは、私たちが神さまに託された良い業を行って生きるために、私たちを造ってくださいました。私たちは、悪いことをするために造られたのではありません。他人を損なうためだったり、自分勝手に生きるために造られたのではない。お皿は人に投げつけるために作られたのではありません。本棚は人を殴るための武器として作られたのではない。同じように、私たちも他者を生かすため、神に託された良い業のために作られました。
なぜこのようなことのために私を造ったのかとは言わないようにしましょう。主の御業を信頼し、主の持っておられる目的を信じましょう。私たち一人ひとりのために、神さまの美しさを映し出す善い業を神さまが備えていてくださる。私の人生にも。そのことを柔らかな心で信じたい、と願います。

2026年2月27日金曜日

2026年2月27日の聖句

ああ、主よ、どうかあなたの耳を傾けて、私が今、あなたの僕たちのために昼も夜もあなたの御前で祈るこの祈りを聞いてください。(ネヘミヤ1:6)
まして神は、昼も夜も叫び求める選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでも放っておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。(ルカ18:7~8)

神さまが私たちキリスト者に与えてくださったすばらしい恵みは、祈ることです。しかも、私たちは不確かな心持ちでいなければならないのではありません。神さまが私たちの祈りを待っていてくださることを確信して祈ることができます。神さまは、恐れ多いことに、私たちのような者の祈りに耳を傾けてくださいます。キリストの恵みに満ちた約束の中で、私たちは祈ることができるのです。
「まして神は、昼も夜も叫び求める選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでも放っておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。」
神さまは私たちの祈りに耳を傾けてくださり、しかも、祈る者を放っておくようなことはなさらない、と言います。驚くべき言葉です。この天地をお造りになった方が、こんなに小さく、しかも神さまからご覧になれば取るに足らないようなことしか祈れない私のような者の祈りに耳を傾けてくださる、とおっしゃっているのです。恐れ多くも、私たちはこのお方に祈ることが許されています。
そうであるからこそ、私たちは大胆に祈りましょう。「ああ、主よ、どうかあなたの耳を傾けて、私が今、あなたの僕たちのために昼も夜もあなたの御前で祈るこの祈りを聞いてください。」どうかあなたの耳を傾けてください、と私たちは願うことができる。なんとすばらしい神の恵みでしょうか。

2026年2月26日木曜日

2026年2月26日の聖句

正しい人の進む道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。(箴言4:18)
しかし、義のために苦しみを受けることがあっても、あなたがたは幸いです。(1ペトロ3:14)

今日の新約聖書の御言葉はペトロの手紙に書かれています。この言葉を口にしたときペトロは主イエスから彼自身が聞いた福音の言葉を思い出していたに違いない、と思います。
「義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。」
主がおっしゃった「義」と「幸いである」が、そのまま今日の御言葉にも出てきます。「義のために苦しみを受けることがあっても、あなたがたは幸いです。」主の御言葉がここにも響いています。義のために苦しみ、義への飢え渇きを覚える私たちに、主ご自身が宣言してくださいます。「あなた方は幸いだ」と。なぜ、主イエスさまは苦しむ人に向かって「幸いだ」とおっしゃるのでしょうか。
逆に、義のために苦しんでいない人というのはどういう人のことを指しているのでしょうか。今日の御言葉の少し前を読むと、このように書いてあります。「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福しなさい。」ペトロの手紙のつながりで読むと、私たちが受ける義のための苦しみというのは、人から悪意を向けられたり、不正なことをされたり、身に覚えのないことで侮辱されたり、といったことであると思います。そんなときに私たちはつい相手をやり込めたり、倍返ししたり、それができなければ陰口ですっきりしたりしたくなります。しかし、聖書は「かえって祝福しなさい」と言う。それが「義のために苦しみを受ける」ということであろうと思います。
そう考えると、主イエスがそのような苦しみを負う者に「あなた方は幸いだ」とおっしゃった意味もよく分かります。ほかの誰でもなく、主ご自身が祝福を語ることで私たちの間に立ってくださいました。悪意や呪いや侮辱に、祝福をもって返すということを、ほかの誰でもなく主ご自身がしてくださいました。もしも私たちが義のために苦しむならば、キリストはその苦しみの中にいてくださいます。あなたが受ける身に覚えのない悪口雑言や憎しみの中に主が共にいてくださる。だからあなたは幸いだ、とキリストは語りかけてくださっています。

2026年3月4日の聖句

主を喜びとせよ。 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩編37:4) このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。(マタイ7:11) 「主はあなたの心の願いを...