2026年10月5日月曜日

2026年10月5日の聖句

塵や灰に過ぎない私ですが、あえてわが主に申し上げます。(創世記18:27)
女は言った。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」(マタイ15:27~28)

私たちの祈りの心、それは今日のアブラハムの言葉そのものです。「塵や灰に過ぎない私ですが、あえてわが主に申し上げます。」神さまの前で、塵や灰に過ぎない私。しかし、そんな取るに足りないつまらない私が神に祈ることを許されています。神はこんな私の祈りを待っていてくださる。神さまの愛と憐れみに信頼して、私たちは大胆にも天地を造られた神に祈ります。
今日の新約に登場する女も、大胆な人です。大胆に主イエスに詰め寄り、説得しました。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」ユダヤ人にとっての「犬」は汚れた動物です。日本語では「小犬」というととてもかわいいイメージですが、聖書の世界ではそうではありません。主イエスの前で私は取るに足りない小犬に過ぎない。神の憐れみを要求できるような私ではない。しかし、彼女は大胆に主イエスに訴えます。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
私たちも、大胆に祈りましょう。自分の小ささやつまらなさ、罪や汚れに意気阻喪してしまうことなく、祈ることにおいては大胆でありましょう。神さまは私たちが祈ることを待っていてくださるし、喜んでくださる。憐れみ深いお方なのです。

2026年10月4日の聖句

今週の聖句:
すべてのものがあなたに目を向けて待ち望むと、あなたは時に応じて食べ物をくださる。(詩編145:15)

今日の聖句:
立って、あなたがたの神、主をほめたたえよ。
いにしえからとこしえまで
あなたの栄光の御名がほめたたえられますように。
それはあらゆる祝福と賛美にまさります。(ネヘミヤ9:5)
食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(1コリント10:31)

「食べるにも、飲むにも、何をするにも」と言っています。私たちが今日することの一つひとつが神の栄光を現すものでありますように。
「キリスト者は箸の上げ下ろしが違う」と聞いたことがあります。神さまを信じるとご飯の食べ方が変わる、と言うのです。この言葉を教えてくれた人はその答までは教えてくれませんでした。何が変わるのでしょうか。まず、お祈りをしてから食べるということがあるでしょう。しかし「箸の上げ下ろし」と言っているのですから、祈ったあとに食べる、その食べている姿そのものが変わってくるはずだ、と思います。そうすると、今日の御言葉がヒントになるのでしょう。私たちの食べ方は、「食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」という御言葉のとおりであるのか?神を賛美する食事の仕方なのか?
食べることも、飲むことも、歩くことや掃除をすること、今日の仕事をすること、遊ぶこと。そういう一つひとつのことが神を賛美し、ほめたたえるものでありたい。それが私たちの切なる願いです。

2026年10月3日土曜日

2026年10月3日の聖句

この民は口で近づき
唇で私を敬うが
その心は私から遠く離れている。(イザヤ29:13)
(イエスの言葉)口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである。(マタイ15:11)

口にすべきではないことを口にしてしまったとき、「思ってもみなかったことなのに」と自分や相手に対して言い訳をしてしまいます。しかし、恐らく、口から出てきた言葉こそが私が思っていたことなのでしょう。口から次々と、疲れを知らずに飛び出してくる悪意のある言葉。それが私の本性。恐ろしいことです。
「口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである。」
主イエスの前にいた人たちは、例えば豚とかウナギのような、旧約聖書が「汚れ」と定めた物は決して食べませんでした。自分の身を汚してはならないから。ところが主イエスは言われるのです。口から入ってくるものが人を汚すのではない。口から入ってくるものなんて、ただ入って来てそのまま体の外に出てしまうものに過ぎない。そうではなく、本当に人を汚すのは心から出てきて口から飛び出してくるもの、つまり汚れた言葉こそが人を汚すのだ、と言われるのです。厳しい言葉です。
私の心の中には何が詰まっているのか?何が隠れているのか?考えるだけで恐ろしいことです。しかし、人に見せられないものがぎっしり詰まっているのは、本当のことです。主の憐れみを求めます。そうでなければ、私は救われようがない。キリストの憐れみと、キリストの愛の中で、私たちはこの心の奥底までも清めていただくことにのみ救いの望みがあるのです。

2026年10月2日金曜日

2026年10月2日の聖句

主よ、お話しください。僕は聞いております。(サムエル上3:9)
(イエスの言葉)私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。(マタイ7:24)

主イエスは私たちに、ご自分の言葉を聞くこと、そして聞くだけではなくそれに従って実際に行うことを求めておられます。キリストの言葉を聞いて行う人は岩の上に自分の家を建てた人のよう。強い雨風が来ても土台がしっかりしているので問題ない。ところが聞くだけで行わないなら、それは砂の上に家を建てたよう。建てるのは簡単ですが、土台が弱いので雨風に耐えることができない。試練に耐えられない見せかけの信仰だ、とおっしゃっています。
神さまの言葉を聞いて行う。それでは神さまは私たちに何をおっしゃっているのでしょうか。別の所で、主イエスは聖書の中でいちばん大切なことは心を尽くし思いを尽くし力を尽くして主なる神を愛すること、そして、隣人を自分自身のように愛することだ、とおっしゃっています。それでは、その愛をどうやって表すことができるのか?旧約の律法を読むと、神さまが私たちに繰り返し求めておられるのは公正と正義です。それは、孤児ややもめの権利を守ることであり、貧しい人や困難な人を重んじることです。自分よりも弱い立場の人を愛すること、神が与えてくださった隣人として重んじることです。
私たちがキリストに教えていただいて愛を実践するなら、それは岩の上に自分の家を建てた者の生き方に他ならない、と主は言われます。ここにこそ、私たちのために神が備えてくださった平和の道があるのではないでしょうか。

2026年10月1日木曜日

2026年10月1日の聖句

10月の聖句:
自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださいました。ですから、しっかりと立って、二度と奴隷の軛につながれてはなりません。(ガラテヤ5:1)

今日の聖句:
あなたは多くの苦しみと災いを
私に思い知らせましたが
再び命を与えてくださいます。(詩編71:20)
主は、敬虔な人々を試練から救い出す。(2ペトロ2:9)

私たちの受ける苦しみも災いも、喜びも楽しみも、すべては神さまの御手の内にあります。私たちの喜びの時、晴れやかな時、私たちはへりくだってそれを神さまのくださったものとして受け、決して高慢にならず、しかし卑屈になるのでもなく、感謝して受け取ります。そして、苦しみや災いも同じです。運が悪かったのでも偶然が重なったのでもない。目の前にいる誰かの悪意が決定的なのでもない。神の手がお与えになった試練です。へりくだってその事実を私たちは受け入れる。
「あなたは多くの苦しみと災いを私に思い知らせましたが、再び命を与えてくださいます。」
神さまは私たちを必ず救ってくださいます。今は苦しいし、厭だし、辛いけれども、それは永遠の祝福に至るためのプロセスです。私たちの狭い視野にはそれが映りません。私たちには今後の行程表は見えない。しかし、私たちは、私たち自身もこの世界も最終的にどこに向かっているのかを知っています。神はすべてを完成させ、私たちをご自分の永遠の祝福へと至らせてくださる。今日の私たちの覚えるいろいろな思いも、それを主に持ち出すならば永遠に連なる意味を持つのです。主なる神さまを信頼して、今日の日を生きたいと願います。

2026年9月30日水曜日

2026年9月30日の聖句

もしあなたが主を求めるなら、主はあなたがたに現れてくださる。(歴代誌下15:2)
女は言った。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、私たちに一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。「あなたと話をしているこの私が、それである。」(ヨハネ4:25~26)

今朝の新約の御言葉は、主イエスがサマリアで出会われた一人の女の言葉です。主は彼女に言われました。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝するときが来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない。」この言葉に応えて彼女が口にしたのが、今日の御言葉です。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、私たちに一切のことを知らせてくださいます。」
父がまことの礼拝を献げる者を求めておられる。私たちと出会おうと、キリストと呼ばれるメシア、つまり主イエスをお送りくださった。私たちはイエスという神の子と出会い、まことの神を礼拝している。聖書はそう語りかけます。
「もしあなたが主を求めるなら、主はあなたがたに現れてくださる。」私たちは、本物の神様と出会っているのです。主イエスさまを信じるというのはそういうことです。主イエスを信じ、口先だけでも体制を取り繕うのでもなく、私たちの霊を尽くして祈り、礼拝する。イエスもご自身の霊をもって私たちと出会ってくださいます。信仰の神秘がここにあります。

2026年9月29日火曜日

2026年9月29日の聖句

神の名が代々とこしえにたたえられますように。
知恵と力は神のもの。(ダニエル2:20)
アーメン。賛美、栄光、知恵
感謝、誉れ、力、権威が
世々限りなく私たちの神にありますように。(黙示録7:12)

人生の主な目的は神を礼拝すること。改革者カルヴァンはそのように言います。今日、私たちもこの聖書の御言葉に心を合わせて神を賛美し、礼拝しましょう。
「神の名が代々とこしえにたたえられますように。知恵と力は神のもの。」
「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、権威が世々限りなく私たちの神にありますように。」
神さまが代々とこしえに賛美されますように。そして全地で献げられるたくさんの賛美の歌声の中に私たちの声も加えられますように。
アーメン、というのは「真実に」という意味です。私たちの真実を込めて、賛美も栄光も知恵も感謝も誉れも力も権威も、神さまにお返ししましょう。私も誉められたいなとか、私も認められたいなという思いがどうしても先に立ってしまいます。しかしそういう心を神さまに献げ、神さまに栄光をお返しする。それが礼拝の心ではないでしょうか。
私たちは今日それぞれの場に遣わされていて、バラバラの場所で生きています。しかし、主を礼拝する者としてつながっています。神に賛美を献げる物として私たちは一つです。それぞれの遣わされている場で神に栄光をお返しする者として、共に今日の日を生きていきましょう。

2026年10月5日の聖句

塵や灰に過ぎない私ですが、あえてわが主に申し上げます。(創世記18:27) 女は言った。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」(マタイ15:27~28) 私たちの祈りの心、それは今日のアブラハムの言葉そのものです。「...