2026年4月7日火曜日

2026年4月7日の聖句

(主は)孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。(申命記10:18~19)
そうして、王は右側にいる人たちに言う。「さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたがたは、私が裸のときに着せてくれたからだ。」(マタイ25:34,36)

寄留者というのは、文字通り、一時的に滞在している人という意味です。従って、その土地に先祖代々住んでいる人とか、腰を落ち着かせて生活しそれが安定している人というのではありません。移民や難民という意味です。その人たちを愛しなさい、と聖書は私たちに命じます。この一事をもって、私たちには移民や難民を排斥するという選択肢はないということになります。主なる神様ご自身がこれらの人々を愛しておられ、食物や衣服といった生活必需品の配慮をしておられるからです。
現代社会でも、聖書の舞台となった古代の社会でも同じです。移民や難民のような寄留者は、社会を不安定にします。「よそ者」なのですから、先にいた人たちにとっては時に邪魔になるし、これまでの和や秩序を乱す存在です。しかしその人々を神が愛しておられ、そうであるからこそあなた方も彼ら彼女らを愛しなさいというのは、私たちにとってはかなり思い切ったご命令です。
私たちは主が寄留者を愛しておられ、主は私たちが寄留者を愛することを求めておられるという事実によって、知らされます。この世界は私たちだけのためのものではなく、自分たちの生活が安定することを目的としたものではない、ということを。よそ者であったり、時に邪魔になる人が共に生きられるように受け入れ、愛し合うことが、むしろ神さまの目的に合致しているのです。安定よりも、分かち合いを。秩序よりも、愛し合うことを。主は私たちに求めておられます。
ここで言う「寄留者」は、何か抽象的な「寄留者的存在」みたいな話ではなく、文字通りの寄留者のことに違いありません。それは今日本にも増えつつある移民であり、あるいはこの国が排除しようとしているオーバーステイの人々や、社会が犯罪者扱いしている外国人のことです。そして日本がかたくなに受け入れようとしない難民のことです。この人たちを愛しなさい、と主は私たちの愛を試しておられるのです。

2026年4月6日月曜日

2026年4月6日の聖句

主は民をご自分の瞳のように守られる。(申命記32:10)
私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。(ローマ8:38~39)

今日の新約の御言葉は、私の最愛の聖句の一つです。私たちは、移ろいます。心も、生き方も、不確かです。そして信仰も。神さまを信じる思いが揺らいでしまうこともあるし、かつての情熱は消え去って冷めた信仰生活を送るときもあります。祈っても独り言のような気がして空しくなることもあるし、聖書を読んでも他人事のようで全然面白くもなく興味も湧かないということだってあります。私たちは移ろいます。人間ですから。
しかし、神さまは人間ではありません。そうであるからこそ、神さまの愛はどんなときにも決して変わることがないし、取り消されてしまうことはありません。その確かな愛によって私たちはいつ、どんなときにも神さまに掴まれています。
「私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。」
私は決して神さまから離れません、とは言っていません。私の信仰の確かさや私の決心の固さが問題なのではない。神さまの側の話をしています。神の愛が私たちを掴んではなさい、誰もそこから私を引き離すことはできない。私たちが信じられるのは、神の愛の確かさだけです。そして、それだけで十分です。
自分自身のことではなく神の愛の確かさ、それだけを信じましょう。そのことにおいて確信をもちましょう。自分から目を離して神さまに私たちの眼を向けましょう。「主は民をご自分の瞳のように守られる。」これは確かな知らせです。

2026年4月5日日曜日

2026年4月5日の聖句

今週の聖句:
わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。(黙示録1:18)

今月の聖句:
あなたはわたしの敵の前で、私の前に宴を設け、わたしのこうべに油を注がれる。わたしの杯はあふれます。(詩編23:5)
最後の敵として滅ぼされるのは、死です。(1コリント15:26)

キリストは甦りました。主は生きておられます!私たちを縛り付ける力、それが死や滅びをこの世界にもたらす悪であろうと、この世を支配する暴力であろうと、それがキリストの復活の力に勝つことはできません。主は甦られた!主イエス・キリストは死に打ち勝たれたのです。それが私たちが頂いた福音です。「最後の敵として滅ぼされるのは、死です。」
キリストの勝利を祝って、私たちはイースターを喜びます。イースターの朝の賛美を歌います。私たちが十字架につけて殺したキリストは甦りました。すべては新しくなったのです。人を抑圧したり、人から奪って豊かになったり、もっと強くなって相手をやっつけたりすることが「現実」なのではない。キリストの甦りこそが新しい現実です。
今この世界で起きている戦争や貧困など、人間の悪から始まった死の支配を、必ずキリストが征服し、神の国をこの地に来たらせてくださる。私たちはそのことを信じて、今日、神の御前に祈りましょう。「御国を来たらせたまえ!」

2026年4月4日土曜日

2026年4月4日の聖句

万軍の主よ
あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。(詩編84:2)
わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。(ヨハネ14:2)

今日の聖書の御言葉を読んで思い起こした詩編があります。新共同訳でご紹介します。
「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。」(詩編27:4)
主の宮、主の家を私たちは慕い求めます。「万軍の主よ、あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。」主の御側近くに私もいさせてください。私たちはそう願い求め、そう祈ります。主の家に、主の宮に帰ることを、私たちは願っています。
実は、毎週、私たちは主の家に帰る経験を重ねています。神を崇めるために神の民が集まる家、礼拝の民である教会です。私たちは神の家に帰って神を礼拝し、新しい一週間に出て行きます。
今、礼拝に出にくい方、教会堂にまで足を運ぶことが困難な方たちのために、教会は祈ります。主の家を慕う私たちは神に祈ります。自分の信仰のためにも、仲間たちの礼拝生活のためにも。
「私の父の家には住むところがたくさんある」と主イエスはおっしゃいました。教会には、あなたの場所があります。私たちは神の家で神を礼拝します。そして、やがてキリストが準備してくださった父の家に帰る日が訪れるのです。
キリストの祝福と恵みによって、今日もあなたの祈りの歩みが守られますように。

2026年4月3日金曜日

2026年4月3日の聖句

主を賛美せよ、すべての国よ。
主をほめたたえよ、すべての民よ。(詩編117:1)
(玉座の周りにいる)天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を、受けるにふさわしい方です。」(黙示録5:12)

賛美は新しい世界を開く想像力です。
私たちの目に映るものは、この世の繁栄であり、富であり、力であり、それを独占する人、抑圧された人、戦争で命を奪われる人、それを指示する人です。この世界の力の物語は、十字架は、イエスの神の国運動や愛の行いの失敗だとします。
しかし、賛美は新しい世界を想像します。私たちの目には見えないけれど、神の救いが確実に進んでいる世界です。私たちの目に映るところはそれと矛盾するけれど、確かに神の愛が向けられている世界です。
「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を、受けるにふさわしい方です。」
屠られた小羊、それはキリストです。このお方にこそ私たちの救いはある。この世の力が最後まで意味のある力なのではありません。この世の富はいつか朽ちます。この世の知恵は限りあるものでしかないし、その限界を忘れれば化け物の知恵になってしまいます。この世の威力は暴力と嘆きを生みます。この世の誉れはそれを独占する者と奪い取られる者とを生みます。この世の栄光が賛美される世界は、地獄です。しかし、本当はそうではない。屠られた小羊こそがそれらすべてを受けるにふさわしい方!神とそのキリストを賛美することこそが私たちの真の救いなのです。
「主を賛美せよ、すべての国よ。主をほめたたえよ、すべての民よ。」そこにこそ私たちの救いがある。私たちの目の前に広がるこの世界の様相の圧倒的な力。しかし、それにもかかわらず、神は必ず私たちをご自分の民とし、私たちの救いでいてくださることを私たちは信じます。

2026年4月2日木曜日

2026年4月2日の聖句

幸いな者、ヤコブの神を助けとし
望みをその神、主に置く人。(詩編146:5)
また、杯を取り、感謝を献げて彼らに与え、言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である。」(マタイ28:27~28)

私たちの助けは、主イエス・キリストにある。私たちはそう信じています。キリストが私たちのために肉を裂き、血を流してくださった。その肉と血を頂く聖餐の食卓こそ、私たちの命の食卓です。キリストはご自分の御言葉の通りに生きられました。ご自分を私たちのために献げ、私たちを愛するためにご自分のすべてを傾けてくださいました。そのキリストが「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である」と言ってくださる杯こそ、私たちの救いです。
この杯について、主は「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である」。契約の血、と主は言われます。この「契約」は、かつてヘブライ人たちがエジプトを脱出したときに神が起こした過越の血、あのときに結ばれた契約のことです。エジプトで奴隷であった民をご自分のものとするために、神は大いなる御業を行われました。過越の血は、彼らが神のものとされたことのしるしです。キリストはご自分の流す血こそが究極の過越の血だと言われます。私たちはキリストが流した血によって、永遠に神の民だというしるしを付けられたと主は言われるのです。
私たちはキリストを「私の救い」と信じ、主に望みをおきます。私たちが十字架に掛けて流したこのお方の血が私たちを救ってくださることを信じます。私たちはこのお方がいなければ生きられない。その事実が私たちの原点なのです。

2026年4月1日水曜日

2026年4月1日の聖句

今月の聖句:
イエスはトマスに言われた。「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)

今日の聖句:
私は大いなる集いの中で、あなたに感謝し、
多くの民の中で、あなたをほめたたえるでしょう。(詩編35:18)
すべての舌が
「イエス・キリストは主である」と告白して
父なる神が崇められるためです。(フィリピ2:11)

今日、私たちの舌に上る言葉が「イエス・キリストは主である」と告白し、父なる神を崇める声でありますように。私たちの心に思うことが主をほめたたえ、私たちの行いが神の前にひれ伏すものでありますように。
今日の詩編は歌います。「私は大いなる集いの中で、あなたに感謝し、多くの民の中で、あなたをほめたたえるでしょう。」賛美は、「大いなる集会の中で」「多くの民の中で」献げられる、とこの詩編は言っています。私たちは神の民の一員としてキリストに賛美を献げます。共にキリストの前で身を低くして祈ります。私たちは神を崇めることで一つに結び合わされるのです。
受難週の木曜日を迎えました。パンを裂き、杯を取り、祝福して与えてくださったキリストを思い起こしましょう。十字架に掛けられたキリストの御前にひれ伏し、このお方を崇める一日を過ごしましょう。

2026年4月7日の聖句

(主は)孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。(申命記10:18~19) そうして、王は右側にいる人たちに言う。「さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あ...