心で罪人を妬むことなどせず
日夜、主を畏れよ。(箴言23:17)
(イエスの言葉)「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、すべての民族に宣べ伝えられる。』あなたがたは、これらのことの証人である。」(ルカ24:46~48)
聖書は本当に鋭いと思います。「心で罪人を妬むことなどせず、日夜、主を畏れよ」と書いてあります。私たちが自分に罪を犯した人を妬むことと、主を畏れることとは両立しない、と言うのです。自分の心を省みてみると、確かに、「あの人は悪い」「自分に対して悪を行った」と感じるときには少なからず「妬み」も共存しています。実は妬ましいという本音があるのにそれを覆い隠すようにして「あの人が悪い」と自分を納得させている、ということが起きているのではないか。実はその心は神を畏れる心とは正反対のものだ、と聖書は言うのです。痛い言葉です。
日夜、主を畏れる。聖書は私たちを神の前に引き出します。神の前に身をかがめ、神を畏れる。そこから私たちの人間関係も新しく始まる。
今日はイースターから40日目で、教会の暦では「昇天日」と呼ばれています。今日の新約の御言葉は主が昇天なさったときに弟子たちに語りかけた御言葉です。メシアの苦しみと復活。そしてメシアの御名による罪の赦しの福音の宣教。これは、主の御前にひれ伏し、このお方を畏れる信仰です。私たちはキリストの死と復活という福音によって、キリストを畏れ、崇める新しい私に造りかえられている。この福音に仕える新しい人生に、私たちは送り出されているのです。
日夜、主を畏れよ。(箴言23:17)
(イエスの言葉)「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、すべての民族に宣べ伝えられる。』あなたがたは、これらのことの証人である。」(ルカ24:46~48)
聖書は本当に鋭いと思います。「心で罪人を妬むことなどせず、日夜、主を畏れよ」と書いてあります。私たちが自分に罪を犯した人を妬むことと、主を畏れることとは両立しない、と言うのです。自分の心を省みてみると、確かに、「あの人は悪い」「自分に対して悪を行った」と感じるときには少なからず「妬み」も共存しています。実は妬ましいという本音があるのにそれを覆い隠すようにして「あの人が悪い」と自分を納得させている、ということが起きているのではないか。実はその心は神を畏れる心とは正反対のものだ、と聖書は言うのです。痛い言葉です。
日夜、主を畏れる。聖書は私たちを神の前に引き出します。神の前に身をかがめ、神を畏れる。そこから私たちの人間関係も新しく始まる。
今日はイースターから40日目で、教会の暦では「昇天日」と呼ばれています。今日の新約の御言葉は主が昇天なさったときに弟子たちに語りかけた御言葉です。メシアの苦しみと復活。そしてメシアの御名による罪の赦しの福音の宣教。これは、主の御前にひれ伏し、このお方を畏れる信仰です。私たちはキリストの死と復活という福音によって、キリストを畏れ、崇める新しい私に造りかえられている。この福音に仕える新しい人生に、私たちは送り出されているのです。