2026年7月19日日曜日

2026年7月19日の聖句

今週の聖句:
あなたがたはもはや外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する神の家族です。(エフェソ2:19)

今日の聖句:
主よ、怒りに燃えて私を責めず
憤りに任せて懲らしめないでください。(詩編6:2)
神は、罪を知らない方を、私たちのために罪となさいました。私たちが、その方にあって神の義となるためです。(2コリント5:21)

あまりにもすごい御言葉です。「私たちが、その方に会って神の義となるためです。」神さまは言ってくださるのです。「お前たちが私の義だ」と。他の誰でもなく私たちを「私の義」と神が言ってくださる。驚くべき御言葉です。
そのために、神はさらに驚くべきことをなさった。「神は、罪を知らない方を、私たちのために罪となさいました。」罪を知らないイエスを神は罪となさった。主イエスは罪になり、私たちは義になった。イエスが持っておられたすべての尊さと聖さ、神の子としての身分が私たちのものとなり、私たちの罪や汚れ、裁かれるべき悪がすべてイエスのものとなった。聖書はそのように言います。
このようなことがあっていいのでしょうか。私たちは、ただ「主よ、怒りに燃えて私を責めず、憤りに任せて懲らしめないでください」と祈るより他ない者です。神は私たちの願い以上のことをしてくださいました。この神を畏れましょう。この神を崇めましょう。あなたの人生をまったく新しいものに一変させたのは、イエス・キリストの父である神です。

2026年7月18日土曜日

2026年7月18日の聖句

神は彼らを男と女に創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、人と名付けられた。(創世記5:2)
相手に敬意をもって丁寧に接しなさい。(ローマ12:10)

とても面白い御言葉の組み合わせだと思います。神が男と女とを創造された日に、彼らを人と名付けられた。これこそ神が人に敬意をもって接してくださったということに他ならない。そういうことでしょう。
人を人と名付けたのは、人をお造りになった神ご自身です。私たちは神に造られ、命を与えられ、神に名前を付けられて生きています。私たちに命を与えてくださったときから神はご自身との関係の内に置き、私たちを人と呼ぶことでご自分との関係を確かなものとしてくださいます。神は私たちをご自身との関係の中で生かしてくださいます。
今日の私たちも、神さまとの関わりの中で新しい一日が始まっています。聖書を通して語りかける神さまの御言葉を聞き、神さまにお祈りをしています。神さまの呼びかけを聞くことこそが私たちを本当に自分らしく生かすよすがです。
明日は主の日です。礼拝で、そして礼拝で語られる神の言葉によって私たちは神様と出会います。朝毎、週ごとに神さまは私たちに新しい御言葉をもって語りかけてくださいます。福音が証しされることで私たちは神と出会う。そういう出会いの言葉を求めて私たちは神様の御前に進み出ます。私たちは自分の神と出会う備えをし、今日この備えの一日を祈りの内に歩みたい。神は、もったいなきことに敬意をもって私たちを呼んでくださっています。私たちも最大限の敬意をもって神の前に進み出たい。そのように願います。

2026年7月17日金曜日

2026年7月17日の聖句

天から見下ろし
聖なる美しいお住まいからご覧ください。
あなたの情熱と力強い御業はどこにあるのですか。(イザヤ63:15)
(イエスの言葉)私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。(ヨハネ14:18)

天から私たちを見下ろされる神さまは、天にどっかりと構えたままではおられません。天でゆっくり眺めているのではなく、私たちのところにまで降りて来てくださいます。「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」そうおっしゃるとおり、主は天で落ち着いていることなく私たちがいるところに降りて来てくださるお方です。神は、落ち着かない神でいらっしゃいます。
私たちのところに来てくださる神は、私たちをみなしごにはしておかれません。私たちのところに来て、私たちをご自分のものにしてくださいます。それはまさに「あなたの情熱と力強い御業はどこにあるのですか」という祈りに応える情熱と力強さです。
今日私たちが聞いている福音は、神が情熱的なお方でいらっしゃる、ということです。神さまは冷めた心をお持ちの方ではない。情熱的で、熱く、私たちのことを放っておかないでいてくださるお方だ、ということです。
今日も神さまは情熱的な愛をもってあなたのところへ来ておられます。神はあなたに何をしておられるか、神は今どのような御業をなさっているか。私たちが問うべきは、そのことではないでしょうか。

2026年7月16日木曜日

2026年7月16日の聖句

神は我らの逃れ場、我らの力。
苦難の時の傍らの助け。
それゆえ私たちは恐れない。(詩編46:2~3)
イエスは、母とその側にいる愛する弟子とを見て、母に、「女よ、見なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」(ヨハネによる福音書19:26~27)

主イエスの母マリアが登場しています。主イエスが十字架にかけられている、その場所です。母は息子イエスが十字架にかけられている姿を目の当たりにしていました。母にとって、どんな地獄よりももっともっと辛く、筆舌に尽くしがたい悲痛のどん底ではないでしょうか。
そのどん底で、主イエスは側にいる人の弟子を示して母におっしゃいました。「女よ、見なさい。あなたの子です。」その弟子にも同じように言われます。「見なさい。あなたの母です。」主イエスが生み出す新しい家族は、十字架の下で、悲しみの淵にたたき込まれたときに与えられました。悲嘆を共にする家族です。
「神は我らの逃れ場、我らの力。苦難の時の傍らの助け。それゆえ私たちは恐れない。」詩編はそう祈ります。これは、キリストに生み出された新しい家族である私たちキリスト教会の祈りです。共に祈り、共に生き、共にキリストを仰ぎます。私たちは、自分たちの気が合うからということではなく、キリストに結ばれた家族であるからです。神が逃れ場でいてくださること、それだけが私たちの救い。神が私たちの力でいてくださること、それだけが私たちの勇気。神が私たちの苦難の中に傍らで助けとなってくださるから、私たちは恐れない。私たちは、私たちの前で十字架にかけられているキリストを仰いで、共に生きていきます。

2026年7月15日水曜日

2026年7月15日の聖句

私の心は激しく揺さぶられ
憐れみで胸が熱くなる。
私は神であって、人ではない。
あなたのただ中にあって聖なる者。
怒りをもって臨むことはない。(ホセア11:8~9)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)

神さまの激しいお心の内が明かされる御言葉です。「私の心は激しく揺さぶられ、憐れみで胸が熱くなる。」神さまがご自分の心をかきむしるほどに私たちのことを思い、ご自身の胸を焦がすほどに私たちを激しく憐れみ、痛みを覚えておられることを、私たちは知っているでしょうか?私たちは、神さまのこの熱いお心の内を少しでも考えたことがあるでしょうか。
神さまは私たちを憐れみ続けてくださいます。それは、この方が人ではなく神でいらっしゃるから。神として、その思いを貫いてくださいます。聖なるお方が私たちに対して怒りではなく、憐れみを抱いて臨んでくださいます。驚くべきお言葉です。
神の憐れみは、イエス・キリストにおいてこの上なくはっきりと示されました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」私たちの間にあって憐れみを貫く神ご自身、それがイエス・キリストです。この方が今日も私たちの間にいてくださいます。私たちと共にいてくださいます。畏れをもって、その事実を信じ、受け止めたいと願います。

2026年7月14日火曜日

2026年7月14日の聖句

見よ、主なる神は力を帯びて来られ
御腕によって統治される。(イザヤ40:10)
そして、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となる。」(黙示録21:3)

「神自ら人と共にいて、その神となる」と書いてあります。「神が人の神となる」と言っていますが、改めて考えてみると不思議な言葉です。とても卑近に考えてみると、「母は娘と共にいて、その母になる」と置き換えて考えてみる。母であればわざわざ「母になる」ということではなくそもそも母です。まして神さまです。神さまのことを私たちがどう思っていようが、あるいは私たちが信じていようがいなかろうが、そもそも神は神です。「神自ら人と共にいて、その神となる」というのは、改めて考えるととても不思議な言葉です。
これは、神さまのへりくだりの言葉です。神は私たちの神になられることを望んでくださいました。私たちが、一般的に言って神なる存在があるらしいと思ったり思わなかったりするのではなく、ほかの誰でもなくこのお方こそ私の神と信じることを望んでおられる。神は、私たちにとって「私の神、私たちの神」となることを望んでくださいました。私たちと関係を結び、私たちが神を神らしく敬うことを願っておられるのです。
「見よ、主なる神は力を帯びて来られ、御腕によって統治される。」今日の旧約の御言葉はそのように言います。主なる神さまの支配、統治。新約の言葉で言い直せば「神の国」です。私たちは神の国に生きる神の民。その事実を自分事として受け入れる神の民として生きる。神は私たちの神として、そのことを私たちに望んでおられます。
今日、神の民として生きるというのは、あなたに何を意味しますか?あなたはどうやって神を崇めて今日の日を生きますか?この世界の支配者があなたと共におられます。あなたの神として。その事実はあなたをどのように新しくしますか?

2026年7月12日日曜日

2026年7月12日の聖句

今週の聖句:
あなたを造られた主は言われる。
恐れるな。私があなたを贖った。
私はあなたの名を呼んだ。
あなたは私のもの。(イザヤ書43:1)

今日の聖句:
主よ、あなたは弱い者の砦
苦難の中にある貧しい者の砦
豪雨を避ける逃れ場
暑さを避ける日陰となられる。
横暴な者たちの勢いは壁を叩く豪雨。(イザヤ25:4)
ヘロデが死ぬと、主の天使が、エジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、幼子とその母を連れ、イスラエルの地へ行きなさい。幼子の命を狙っていた人たちは、死んでしまった。」(マタイ2:19~20)

主は、弱い者のための砦になってくださいます。主が、御自ら弱い者を守ってくださいます。何という慰めでしょう。主は苦難の中にある貧しい者の砦です。何と確かな救いでしょう。主は、私たちが熱い日差しで弱り果ててしまわないように、御自ら日陰になってくださいます。主が私たちのための盾となり、壁となり、葉の生い茂る木になって守ってくださるのです。例え誰が私たちに襲いかかり、苦しめるとしても、私たちは大丈夫。主が私たちの砦でいてくださるから。
主ご自身がヘロデの魔の手の迫るときに幼子として私たちの間に宿ってくださいました。主の守りは、苦しむ私たちのところに、確実に伸ばされています。主は必ず私たちと共にいてくださいます。このお方の支えは確実なのです。

2026年7月19日の聖句

今週の聖句: あなたがたはもはや外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する神の家族です。(エフェソ2:19) 今日の聖句: 主よ、怒りに燃えて私を責めず 憤りに任せて懲らしめないでください。(詩編6:2) 神は、罪を知らない方を、私たちのために罪となさいま...