朝と夕べの始まる所に
あなたは喜びの歌を響かせてくださいます。(詩編65:9)
看守は二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。(使徒16:34)
今日の新約には「看守」という人が登場しています。この人はフィリピという町にある牢獄の看守でした。そこにパウロとシラスが投獄されていた。牢獄の中にいた二人は、真夜中、主への賛美の歌を歌って祈っていました。他の囚人たちもこれに聴き入っていました。そこに突然大地震が起こった。牢の戸が開いてしまいました。看守は囚人たちが皆逃げてしまったと思い込み、自殺しようとします。すると牢の中からパウロが大声で叫んだのです。「自害してはいけない。私たちは皆ここにいる。」このようなことがあって看守は信仰に導かれました。彼は二人を自宅に招いて一緒に食事をしました。
ところで、先日、保育園で子どもたちに聖書のお話をする機会がありました。8月ということで平和の話をしました。与えられた聖書の御言葉は「彼はその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す」でした。鋤も鎌も農業をするための道具、つまりご飯を作り出すための道具です。ご飯を作り、食べて、生きていくための、しかも自分だけではなく皆が生きていくための道具です。剣や槍という殺すための道具が人の命をつなぐための道具に変えられる、という幻を預言者イザヤは見ました。
今日私たちに与えられている聖書の御言葉も、看守は、パウロやシラス、それに他の囚人が逃げないように剣を持って見張りをしていたのでしょう。地震というハプニングのために皆が逃げたと思ったら、今度は責任を取って自分を傷つけなければならないと思い詰めてしまった。しかし、パウロに導かれ、主イエスと出会ったときに、彼は敵だと思っていたパウロやシラスと共に食事をする道に導かれました。敵対していた者たちが一緒に食事をする。ここに既にキリストの平和が始まっています。
実に、私たちは敵対し、憎しみ合い、傷つけ合うために生きているのではない。一緒にご飯を食べ、互いの命を喜び、共に賛美を献げて祈るために生きているのです。キリストが私たちの間にいてくださることに気づくとき、新しい出来事が始まります。
あなたは喜びの歌を響かせてくださいます。(詩編65:9)
看守は二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。(使徒16:34)
今日の新約には「看守」という人が登場しています。この人はフィリピという町にある牢獄の看守でした。そこにパウロとシラスが投獄されていた。牢獄の中にいた二人は、真夜中、主への賛美の歌を歌って祈っていました。他の囚人たちもこれに聴き入っていました。そこに突然大地震が起こった。牢の戸が開いてしまいました。看守は囚人たちが皆逃げてしまったと思い込み、自殺しようとします。すると牢の中からパウロが大声で叫んだのです。「自害してはいけない。私たちは皆ここにいる。」このようなことがあって看守は信仰に導かれました。彼は二人を自宅に招いて一緒に食事をしました。
ところで、先日、保育園で子どもたちに聖書のお話をする機会がありました。8月ということで平和の話をしました。与えられた聖書の御言葉は「彼はその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す」でした。鋤も鎌も農業をするための道具、つまりご飯を作り出すための道具です。ご飯を作り、食べて、生きていくための、しかも自分だけではなく皆が生きていくための道具です。剣や槍という殺すための道具が人の命をつなぐための道具に変えられる、という幻を預言者イザヤは見ました。
今日私たちに与えられている聖書の御言葉も、看守は、パウロやシラス、それに他の囚人が逃げないように剣を持って見張りをしていたのでしょう。地震というハプニングのために皆が逃げたと思ったら、今度は責任を取って自分を傷つけなければならないと思い詰めてしまった。しかし、パウロに導かれ、主イエスと出会ったときに、彼は敵だと思っていたパウロやシラスと共に食事をする道に導かれました。敵対していた者たちが一緒に食事をする。ここに既にキリストの平和が始まっています。
実に、私たちは敵対し、憎しみ合い、傷つけ合うために生きているのではない。一緒にご飯を食べ、互いの命を喜び、共に賛美を献げて祈るために生きているのです。キリストが私たちの間にいてくださることに気づくとき、新しい出来事が始まります。