今週の聖句:
ほむべきかな。神。
神は私の祈りを退けて、御恵みを私から取り去らなかった。(詩編66:20)
今日の聖句:
私たちが仕える神は、火の燃える炉の中から、私たちを救い出すことができます。たとえそうでなくとも、私たちはあなたの神々に仕えることも、あなたが立てた金の像を拝むこともいたしません。(ダニエル3:17~18)
聖なる方、真実な方
ダビデの鍵を持つ方
この方が開けると、誰も閉じることができない。
「あなたがたは力の弱い者であるが、私の言葉を守り、私の名を否まかったからである。」(ヨハネ黙示録3:7,8b)
ダニエルはネブカドネツァル王が支配するバビロンに生きた信仰者として聖書に登場します。故国ユダを滅ぼした圧倒的な軍事力を持つ国。バビロニアには発展した文明とすばらしい文化が満ちあふれていたに違いありません。そして、それを支えるバビロンの宗教があった。ネブカドネツァル王はあるとき巨大な金の像を造り、これにすべてのものがひれ伏すことを要求しました。ところが、ダニエルは主なる神さまのみを礼拝する信仰者でしたから、それを拒んだ。そのために、彼は燃えさかる火の炉に投げ込まれることになりました。
その時にダニエルが言った言葉が今日の御言葉です。神は火の燃える炉から私を救うことがおできになる。そう、実際に神はそのようにダニエルを助けてくださった。しかしもっと大事なのは彼の言葉の後半です。「たとえそうでなくとも、私たちはあなたの神々に仕えることも、あなたが立てた金の像を拝むこともいたしません。」この「たとえそうでなくとも」がダニエルの信仰です。私たちは神がどうにかしてくれるという保証があるから従うのではない。神が事態を好転してくれることが期待できるから信じるのではない。ご褒美があるから信じるのではない。この方こそまことの神でいらっしゃるから、他の何ものも神とはしない。神は私を助けることがおできになる。しかしたとえそうでなくても、私は主だけを礼拝する。
異教社会に生きるダニエルです。私もこの人のようでありたい、と願います。
ほむべきかな。神。
神は私の祈りを退けて、御恵みを私から取り去らなかった。(詩編66:20)
今日の聖句:
私たちが仕える神は、火の燃える炉の中から、私たちを救い出すことができます。たとえそうでなくとも、私たちはあなたの神々に仕えることも、あなたが立てた金の像を拝むこともいたしません。(ダニエル3:17~18)
聖なる方、真実な方
ダビデの鍵を持つ方
この方が開けると、誰も閉じることができない。
「あなたがたは力の弱い者であるが、私の言葉を守り、私の名を否まかったからである。」(ヨハネ黙示録3:7,8b)
ダニエルはネブカドネツァル王が支配するバビロンに生きた信仰者として聖書に登場します。故国ユダを滅ぼした圧倒的な軍事力を持つ国。バビロニアには発展した文明とすばらしい文化が満ちあふれていたに違いありません。そして、それを支えるバビロンの宗教があった。ネブカドネツァル王はあるとき巨大な金の像を造り、これにすべてのものがひれ伏すことを要求しました。ところが、ダニエルは主なる神さまのみを礼拝する信仰者でしたから、それを拒んだ。そのために、彼は燃えさかる火の炉に投げ込まれることになりました。
その時にダニエルが言った言葉が今日の御言葉です。神は火の燃える炉から私を救うことがおできになる。そう、実際に神はそのようにダニエルを助けてくださった。しかしもっと大事なのは彼の言葉の後半です。「たとえそうでなくとも、私たちはあなたの神々に仕えることも、あなたが立てた金の像を拝むこともいたしません。」この「たとえそうでなくとも」がダニエルの信仰です。私たちは神がどうにかしてくれるという保証があるから従うのではない。神が事態を好転してくれることが期待できるから信じるのではない。ご褒美があるから信じるのではない。この方こそまことの神でいらっしゃるから、他の何ものも神とはしない。神は私を助けることがおできになる。しかしたとえそうでなくても、私は主だけを礼拝する。
異教社会に生きるダニエルです。私もこの人のようでありたい、と願います。