2026年5月24日日曜日

2026年5月24日の聖句

今週の聖句:
武力によらず、権力によらず、わが霊によるーー万軍の主は言われる。(ゼカリヤ4:6)

今日の聖句:
門よ、頭を上げよ。
とこしえの扉よ、上がれ。
栄光の王が入る。(詩編24:7)
突然、激しい風が吹いてくるような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。すると、一同は聖霊に満たされた。(使徒2:2,4)

以前、車で首都高速を通過したときのことです。どこかの国の要人(大統領や首相級の人物でした)が日本に来て都内を通過するということで、高速道路のいろいろなところに警察官が配備されていました。(そのために車が詰まっていて辟易しました・・・。)この世の王が来るときでさえ、庶民の生活に大きな影響を与えるような騒ぎになります。まして私たちの栄光の王、とこしえの王でいらっしゃるお方が私たちのところに来られるというのです。私たちは今のままでいていいのでしょうか?
「門よ、頭を上げよ。とこしえの扉よ、上がれ。栄光の王が入る。」
門は頭を上げ、とこしえの扉でさえも上がってしまわなければならない。王が入ってこられるからです。私たちの真の王・キリストであるイエスが来られるとき、私たちはこのお方をお迎えするために全神経をそちらに向け、王をお迎えするために生き方を変えなければならないはずです。
このお方は「武力によらず、権力によらず」、ご自身の霊によって私たちのところへ来られます。命を与える神の愛の息吹です。神は、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。すると、一同は聖霊に満たされた」という、新しい時代を始める霊として、私たちのところへ来てくださいました。
私たちの王であるキリストの霊です。このお方をお迎えするために、私たちは今日この日を迎えました。私たちの主イエス・キリストに栄光があり、私たちがこのお方の霊に生かされて祈り、賛美を献げる者として今日の日を生きられますように。

2026年5月23日土曜日

2026年5月23日の聖句

神は私たちが知りえない偉大な業を行う。(ヨブ37:5)
父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。(マタイ5:45)

まさにその通り、しかしすぐに忘れてしまう。それが今日の御言葉だと思います。「神は私たちが知りえない偉大な業を行う。」私たちには、神さまのなさることを見極めることなんてできません。人間に過ぎませんから。神さまのなさることや神さまの思いを何でも知っているなんて、傲慢です。しかし、何とたびたびその傲慢を犯してしまうことでしょう!そして、現実が自分の意にそぐわないときに悪いのは神さまの方であるかのように考え、そのような言葉を口にし、あるいは不機嫌のままに振る舞ってしまう。傲慢なことです。しかし、現によくしてしまっていることです。
主イエスはおっしゃいます。「父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。」私の基準からすれば、私が「悪人」と思う人には悪いことがたくさん起きて、ちゃんと懲らしめられることが正義だと考えてしまいます。私の見えていることとか計算できることを前提にすれば、自分が思う正義が貫徹され、自分が悪と思う人が酷い目に遭うことが道理に適っていることになる。しかし、主イエスは「その通り」とはおっしゃいません。誰にでも太陽は昇る。善人にも悪人にも。それはどんな人をも愛する神さまの、父としての愛と慈しみに他ならない。むしろ神の大きな御心を知ってほしい、と主は言われるのです。
私たちに知りえないこと、私たちには謀りがたいことがあることを、謙遜に受け止め、喜びましょう。私たちの思いの外にあることこそ、神さまの愛の無限な大きさの証拠なのですから。

2026年5月22日金曜日

2026年5月22日の聖句

主こそあなたの誉れ、あなたの神。(申命記10:21)
父ご自身が、あなたがたを愛しておられるのである。(ヨハネ16:27)

なんとすばらしい二つの御言葉を与えられたことでしょう!父なる神様ご自身が私たちを愛してくださっている。その事実こそが私たちの誉れです。私たちの誇り、私たちの喜びは神が私を愛してくださっていること!
ローマの信徒への手紙にもこのように書かれています。「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしているのです」(5:10,11)。
父なる神ご自身が私たちを愛してくださっているというのは、敵であった私たちを愛してくださっている、ということです。御子の命によって私たちを救ってくださるほど私たちを愛してくださっている神です。私たちはこのお方の途方もない愛をイエス・キリストを通して知りました。だから、「私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています」と言うのです。
「主こそあなたの誉れ、あなたの神。」本当にそうです。その通りです。主なる神さまが私を愛してくださり、和解の手を伸ばしてくださり、救ってくださって、私たちをご自身のものとしてくださった。その事実が私の誉れです。主にあって誇り高き者として、与えられた一日を歩みましょう。

2026年5月21日木曜日

2026年5月21日の聖句

その御業のゆえに神をたたえよ
その大いなる栄光にふさわしく神をたたえよ。(詩編150:2)
詩と賛歌と霊の歌により、感謝して神に向かって心から歌いなさい。(コロサイ3:16)

私たちの姉妹教会である香港中会にかつておられたウィリアム・イェン牧師。香港に対する共産党政権の締め付けがひどくなっていく中で香港民衆民主化運動の先頭に立った人物のおひとりです。
2019年の香港民主化運動のときのこと。ウィリアム先生らは香港の町に出て路上に立って抵抗なさったのですが、その時、そこに立ったキリスト者たちは歌をうたったのだそうです。Sing Hallelujah to the Lord、と。この歌は次第に町中に広まり、キリスト者だけではなく民主化運動の象徴的な意味を持つ歌となったと聞きます。
Sing Hallelujah to the Lord!主に歌え、主をほめ歌え!ハレルヤと主を賛美せよ!この歌は、政府の大きな力で人々を押さえつけ、締め付け、自由を奪う暴力に対抗する力を持ちました。賛美が自由への力になりました。政府の力で押さえつけた悲しみを忘れることなく、共に嘆き、共に喜び、共に生きる力になった。賛美には、この世界に働きかける大きな力が秘められています。
私たちもうたいましょう。「詩と賛歌と霊の歌により、感謝して神に向かって心から歌いなさい。」この世に正義を願い求め、神の御心がこの地になることを願う祈りは、神をほめたたえる賛美と一つです。私たちの歌はこの世界を神が変えてくださることを信じる信仰の表明です。御国を来たらせたまえ!主が教えてくださった祈りが、私たちの口に賛美を上らせる原動力になるのです。

2026年5月20日水曜日

2026年5月20日の聖句

主の慈しみをとこしえに歌い
私の口はあなたのまことを
代々に告げ知らせよう。(詩編89:2)
弟子たちは出て行って、至るところで福音を宣べ伝えた。主も弟子たちと共に働き、彼らの語る言葉にしるしを伴わせることによって、その言葉を確かなものとされた。(マルコ16:20)

「弟子たちは出て行って、至るところで福音を宣べ伝えた」と書かれています。「出て行って、至るところで」という言葉が心に残ります。これが私たち主の弟子の姿です。出て行って、至るところで。
主の弟子たちは、ほんの僅かな人数でしかありませんでした。学がある人というわけではありませんし、洗練された都会人でもありません。彼らには、ただ、主イエスさまのご命令だけがありました。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(15節)と愛する主イエスに命じられた。その言葉に促されて、ただそれだけを携えて、弟子たちは出て行きました。
私たちも同じです。同じように主イエスに遣わされています。私たちも出て行き、私たちの行くあらゆる場所、至るところで、福音を宣べ伝えるために、主イエスさまに遣わされています。「主の慈しみをとこしえに歌い、私の口はあなたのまことを、代々に告げ知らせよう。」主が必ずと共にいてくださって、福音を上らせる口を祝福してくださいます。主ご自身が用いてくださいます。主が私たちの言葉を確かなものにしてくださいます。

2026年5月19日火曜日

2026年5月19日の聖句

しかし主よ、今、あなたは私たちの父。
私たちは粘土、あなたは陶工。
私たちは皆、あなたの手の業です。(イザヤ書64:7)
ああ、人よ。神に口答えするとは、あなたは何者か。造られたものが造った者に、「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。(ローマ9:20)

今日の旧約ですが「父と子」、あるいは「粘土と陶工」として私たちと神さまとの関係を捉えています。三行目に出て来る「私たちは皆、あなたの手の業です」も同じイメージです。
私は今三人の子どもの父です。しかし最初から父であったわけではありません。長男が生まれたときに初めて父になりました。子どもがいなければ「父」と呼ばれることはありません。陶工も、作品を作らなければ陶工と呼ばれることはありません。「父」も「陶工」も実は「父と子」あるいは「陶工と粘土」という関係を表す言葉です。子がいなければ父になることはない。そうだとすると、神さまは私たちがいなければ「父」ではなかったということになるのか?
しかし、そうではない。私たち造られた者がいようといなかろうと、神さまが父でいらっしゃることには何ら変わりがありません。それは、このお方がイエスという御子の父でいらっしゃるからです。「主よ、今、あなたは私たちの父。」神さまが私たちにそう呼ばれることをお許しになったというのは、それ自体が神さまの深いへりくだりです。子なる神の永遠の父でいらっしゃるお方が、私たちのような粘土に過ぎない者、造られただけの者にとっても「父」としてご自身を現し、紹介してくださった。だから私たちはこのお方を「父」とお呼びして崇めるのです。
「父よ」と私たちがお呼びして祈ること、それ自体が神さまの限りないへりくだりと愛の生み出した大きな賜物なのです。

2026年5月18日月曜日

2026年5月18日の聖句

主よ、私たちにではなく
私たちにではなく
あなたの何こそ、栄光を与えてください
あなたの慈しみとまことのために。(詩編115:1)
(イエスの言葉)自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不正がない。(ヨハネ7:18)

今日の新約の御言葉で主イエスがおっしゃっているのは、主イエスさま御自身のことです。「自分をお遣わしになった方の栄光を求める者」。主イエスはまさにそのように願い、実際にそうなさいました。ご自分をお遣わしになった父なる神様の栄光のために、主イエスはすべてのことをなさったのです。
私たちは神の栄光を求めているのでしょうか。それとも自分勝手に話し、主イエスが指摘しておられるとおりに自分の栄光を求めているのでしょうか。私たち自身の言葉や行いを神さまの前で静かに振り返り、考え直すことがもしかしたら必要なのかもしれません。
今日の旧約の詩編の御言葉は、まさに主イエスと同じ信仰をもって献げられた賛美です。「主よ、私たちにではなく、私たちにではなく、あなたの何こそ、栄光を与えてください。あなたの慈しみとまことのために。」私たちは知恵が足りないし、それ以上に身勝手ですし、すぐに迷ってしまう愚か者です。そのような罪深い私にも、どうか主が賛美を授けてくださいますように。神のご栄光を求める信仰者として、私を生かしてくださいますように。ただひたすら、神さまの憐れみに満ちた導きを慕い求めます。

2026年5月24日の聖句

今週の聖句: 武力によらず、権力によらず、わが霊によるーー万軍の主は言われる。(ゼカリヤ4:6) 今日の聖句: 門よ、頭を上げよ。 とこしえの扉よ、上がれ。 栄光の王が入る。(詩編24:7) 突然、激しい風が吹いてくるような音が天から起こり、彼らが座っ...