2026年4月9日木曜日

2026年4月9日の聖句

神の前に言葉を注ぎ出そうと
焦って口を開いたり、心をせかしたりするな。
神は天におられ、あなたは地上にいるからだ。
言葉を控えよ。(コヘレト5:1)
(イエスの言葉)「あなたがたの父は、あなたがた求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。」(マタイ6:8)

主イエス・キリストは、父なる神様が私たちの求める前から私たちの必要をご存じだとおっしゃり、そうであるからこそこう祈れといって主の祈りを教えてくださいました。
主は、ここで私たちが祈りにおいて犯す過ちを指摘しておられます。人に見せるため、褒められるための祈り。くどくど長ったらしく祈るけれど、結局は神を信頼していない祈り。そのようなものではなく、神が父としてあなたを知っていてくださり、あなたに配慮してくださっていることを信じて祈る。人に見せるためではなく、ただ神の前で祈る。主はそのような祈りの心をお教えくださいました。本当に、そのように祈る者でありたい、と願います。
今日の旧約の御言葉を読むと、神を畏れることがどんなに大事なことかを教えられます。「神は天におられ、あなたは地上にいる」と言っています。神さまを本当に神さまらしく崇め、自分は神に造られた者としての分をわきまえる。しかも、天におられるお方が私のような者の父として愛してくださっている。祈りは、本当は途方もない営みです。神の大きさと、小さな私に向けてくださっている愛との両方を信じるところで生まれるのです。
神さまは、今日も私たちの祈りを待っていてくださいます。ですから、祈りましょう。何よりも先ず主がお教えくださったとおりに、主の祈りを祈ることから始めましょう。

2026年4月8日水曜日

2026年4月8日の聖句

寡婦、孤児、寄留者
貧しい者を虐げてはならない。(ゼカリヤ書7:10)
そうして、王は右側にいる人たちに言う。「さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたがたは、私がよそ者であったときに宿を貸してくれたからだ。」(マタイ25:34~35)

今私たちが聞いている毎日の御言葉は『日々の聖句』というヘルンフート兄弟団が出している聖書日課に従っています。一年365日、毎日の旧約の御言葉をくじで引き、それに相応しい新約の御言葉が添えられています。昨日の御言葉も今日の御言葉もくじで引かれたわけですが、なんと今日の旧約の御言葉は昨日頂いた御言葉と同じ趣旨のことを言っています。それに合わせた新約ということで、昨日とほぼ同じ箇所です(昨日は34,36節で、今日は34,35節)。
ただ、昨日の旧約は申命記でしたが、今日はゼカリヤ書です。内容は同じ主旨ですが、別々の箇所の御言葉です。つまり、聖書はいろいろなところでこのことを語りかけている、ということになります。「寡婦、孤児、寄留者、貧しい者を虐げてはならない。」聖書が考える社会正義は、弱い人たちを虐げることなく分かち合うことから始まる。それが聖書の一貫した主張なのだと思います。
預言者ゼカリヤは、ユダの国が捕囚から解放された時期の人物です。エルサレムの再建に携わっていたようです。崩壊した国を再建する。そういう状況を考えると「自分のことで精一杯」だったのではないかと思います。しかしそういうときにこの預言者は「寡婦、孤児、寄留者、貧しい者を虐げてはならない」と言いました。貧しい人と共に生きるところから私たちの再生は始まる、と説いたのです。驚くべき言葉です。私たちの社会の状況も日に日に厳しさを増しています。あなたはどう生きるのかと、私たちも主に問われているのではないでしょうか。

2026年4月7日火曜日

2026年4月7日の聖句

(主は)孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。(申命記10:18~19)
そうして、王は右側にいる人たちに言う。「さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたがたは、私が裸のときに着せてくれたからだ。」(マタイ25:34,36)

寄留者というのは、文字通り、一時的に滞在している人という意味です。従って、その土地に先祖代々住んでいる人とか、腰を落ち着かせて生活しそれが安定している人というのではありません。移民や難民という意味です。その人たちを愛しなさい、と聖書は私たちに命じます。この一事をもって、私たちには移民や難民を排斥するという選択肢はないということになります。主なる神様ご自身がこれらの人々を愛しておられ、食物や衣服といった生活必需品の配慮をしておられるからです。
現代社会でも、聖書の舞台となった古代の社会でも同じです。移民や難民のような寄留者は、社会を不安定にします。「よそ者」なのですから、先にいた人たちにとっては時に邪魔になるし、これまでの和や秩序を乱す存在です。しかしその人々を神が愛しておられ、そうであるからこそあなた方も彼ら彼女らを愛しなさいというのは、私たちにとってはかなり思い切ったご命令です。
私たちは主が寄留者を愛しておられ、主は私たちが寄留者を愛することを求めておられるという事実によって、知らされます。この世界は私たちだけのためのものではなく、自分たちの生活が安定することを目的としたものではない、ということを。よそ者であったり、時に邪魔になる人が共に生きられるように受け入れ、愛し合うことが、むしろ神さまの目的に合致しているのです。安定よりも、分かち合いを。秩序よりも、愛し合うことを。主は私たちに求めておられます。
ここで言う「寄留者」は、何か抽象的な「寄留者的存在」みたいな話ではなく、文字通りの寄留者のことに違いありません。それは今日本にも増えつつある移民であり、あるいはこの国が排除しようとしているオーバーステイの人々や、社会が犯罪者扱いしている外国人のことです。そして日本がかたくなに受け入れようとしない難民のことです。この人たちを愛しなさい、と主は私たちの愛を試しておられるのです。

2026年4月6日月曜日

2026年4月6日の聖句

主は民をご自分の瞳のように守られる。(申命記32:10)
私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。(ローマ8:38~39)

今日の新約の御言葉は、私の最愛の聖句の一つです。私たちは、移ろいます。心も、生き方も、不確かです。そして信仰も。神さまを信じる思いが揺らいでしまうこともあるし、かつての情熱は消え去って冷めた信仰生活を送るときもあります。祈っても独り言のような気がして空しくなることもあるし、聖書を読んでも他人事のようで全然面白くもなく興味も湧かないということだってあります。私たちは移ろいます。人間ですから。
しかし、神さまは人間ではありません。そうであるからこそ、神さまの愛はどんなときにも決して変わることがないし、取り消されてしまうことはありません。その確かな愛によって私たちはいつ、どんなときにも神さまに掴まれています。
「私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。」
私は決して神さまから離れません、とは言っていません。私の信仰の確かさや私の決心の固さが問題なのではない。神さまの側の話をしています。神の愛が私たちを掴んではなさい、誰もそこから私を引き離すことはできない。私たちが信じられるのは、神の愛の確かさだけです。そして、それだけで十分です。
自分自身のことではなく神の愛の確かさ、それだけを信じましょう。そのことにおいて確信をもちましょう。自分から目を離して神さまに私たちの眼を向けましょう。「主は民をご自分の瞳のように守られる。」これは確かな知らせです。

2026年4月5日日曜日

2026年4月5日の聖句

今週の聖句:
わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。(黙示録1:18)

今月の聖句:
あなたはわたしの敵の前で、私の前に宴を設け、わたしのこうべに油を注がれる。わたしの杯はあふれます。(詩編23:5)
最後の敵として滅ぼされるのは、死です。(1コリント15:26)

キリストは甦りました。主は生きておられます!私たちを縛り付ける力、それが死や滅びをこの世界にもたらす悪であろうと、この世を支配する暴力であろうと、それがキリストの復活の力に勝つことはできません。主は甦られた!主イエス・キリストは死に打ち勝たれたのです。それが私たちが頂いた福音です。「最後の敵として滅ぼされるのは、死です。」
キリストの勝利を祝って、私たちはイースターを喜びます。イースターの朝の賛美を歌います。私たちが十字架につけて殺したキリストは甦りました。すべては新しくなったのです。人を抑圧したり、人から奪って豊かになったり、もっと強くなって相手をやっつけたりすることが「現実」なのではない。キリストの甦りこそが新しい現実です。
今この世界で起きている戦争や貧困など、人間の悪から始まった死の支配を、必ずキリストが征服し、神の国をこの地に来たらせてくださる。私たちはそのことを信じて、今日、神の御前に祈りましょう。「御国を来たらせたまえ!」

2026年4月4日土曜日

2026年4月4日の聖句

万軍の主よ
あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。(詩編84:2)
わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。(ヨハネ14:2)

今日の聖書の御言葉を読んで思い起こした詩編があります。新共同訳でご紹介します。
「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。」(詩編27:4)
主の宮、主の家を私たちは慕い求めます。「万軍の主よ、あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。」主の御側近くに私もいさせてください。私たちはそう願い求め、そう祈ります。主の家に、主の宮に帰ることを、私たちは願っています。
実は、毎週、私たちは主の家に帰る経験を重ねています。神を崇めるために神の民が集まる家、礼拝の民である教会です。私たちは神の家に帰って神を礼拝し、新しい一週間に出て行きます。
今、礼拝に出にくい方、教会堂にまで足を運ぶことが困難な方たちのために、教会は祈ります。主の家を慕う私たちは神に祈ります。自分の信仰のためにも、仲間たちの礼拝生活のためにも。
「私の父の家には住むところがたくさんある」と主イエスはおっしゃいました。教会には、あなたの場所があります。私たちは神の家で神を礼拝します。そして、やがてキリストが準備してくださった父の家に帰る日が訪れるのです。
キリストの祝福と恵みによって、今日もあなたの祈りの歩みが守られますように。

2026年4月3日金曜日

2026年4月3日の聖句

主を賛美せよ、すべての国よ。
主をほめたたえよ、すべての民よ。(詩編117:1)
(玉座の周りにいる)天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を、受けるにふさわしい方です。」(黙示録5:12)

賛美は新しい世界を開く想像力です。
私たちの目に映るものは、この世の繁栄であり、富であり、力であり、それを独占する人、抑圧された人、戦争で命を奪われる人、それを指示する人です。この世界の力の物語は、十字架は、イエスの神の国運動や愛の行いの失敗だとします。
しかし、賛美は新しい世界を想像します。私たちの目には見えないけれど、神の救いが確実に進んでいる世界です。私たちの目に映るところはそれと矛盾するけれど、確かに神の愛が向けられている世界です。
「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を、受けるにふさわしい方です。」
屠られた小羊、それはキリストです。このお方にこそ私たちの救いはある。この世の力が最後まで意味のある力なのではありません。この世の富はいつか朽ちます。この世の知恵は限りあるものでしかないし、その限界を忘れれば化け物の知恵になってしまいます。この世の威力は暴力と嘆きを生みます。この世の誉れはそれを独占する者と奪い取られる者とを生みます。この世の栄光が賛美される世界は、地獄です。しかし、本当はそうではない。屠られた小羊こそがそれらすべてを受けるにふさわしい方!神とそのキリストを賛美することこそが私たちの真の救いなのです。
「主を賛美せよ、すべての国よ。主をほめたたえよ、すべての民よ。」そこにこそ私たちの救いがある。私たちの目の前に広がるこの世界の様相の圧倒的な力。しかし、それにもかかわらず、神は必ず私たちをご自分の民とし、私たちの救いでいてくださることを私たちは信じます。

2026年4月9日の聖句

神の前に言葉を注ぎ出そうと 焦って口を開いたり、心をせかしたりするな。 神は天におられ、あなたは地上にいるからだ。 言葉を控えよ。(コヘレト5:1) (イエスの言葉)「あなたがたの父は、あなたがた求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。」(...