ファラオは、雨も雹も雷もやんだのを見て、またも罪を犯し、心がかたくなになった。(出エジプト記9:34)
きょうだいたち、あなたがたのうちに、不信仰という悪しき心が芽生えて、生ける神から離れ去る者がないように気をつけなさい。(ヘブライ3:12)
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」を地で行くような姿です。
エジプトのファラオは、モーセがヘブライ人たちを去らせてほしいと要求したことに対して全く耳を貸しませんでした。まともに取り合おうともしなかった。そこで神はモーセを通して次々にエジプトに災いをもたらします。ナイル川の水が血に変わったり、ブヨやら蛙やらが大量発生したり、エジプト人やその家畜がいるところにだけ雹が降ってきたり。だんだんとファラオはヘブライ人たちが出て行くことを承知するようになってきましたが、災いが終わるたびに心を翻してしまいました。「ファラオは、雨も雹も雷もやんだのを見て、またも罪を犯し、心がかたくなになった。」この心のかたくなさは、私たちにもよく分かります。他人事ではなく、私たち自身の問題ではないでしょうか。
「頑固」という言葉があります。「頑なで固い」と書きます。よくできた字だと思います。私の心だって別にどこもかしこも頑固なわけではない。しかし、神さまにも他人にも譲れないと自分で勝手に思い込んでいる頑固な部分があって、そこは本当にこわばっているし、凝り固まっています。
整骨院で治療してもらうと、私の体を触った先生は、ここの筋肉が固まっていますね、だからこっちが痛くなっているんですよ、とおっしゃいます。コリを甘く見て放置すると、その内ぎっくり腰のような大けがにつながってしまいます。心のコリも甘く見てはいけない。心を柔らかくするために、つまり不信仰という悪しき芽生えを摘み取るために、私たちはキリストの前に進み出て、へりくだり、悔い改めの祈りを捧げることが大切ではないでしょうか。魂の整体しキリストが私たちの心を柔らかくしてくださいますから。
きょうだいたち、あなたがたのうちに、不信仰という悪しき心が芽生えて、生ける神から離れ去る者がないように気をつけなさい。(ヘブライ3:12)
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」を地で行くような姿です。
エジプトのファラオは、モーセがヘブライ人たちを去らせてほしいと要求したことに対して全く耳を貸しませんでした。まともに取り合おうともしなかった。そこで神はモーセを通して次々にエジプトに災いをもたらします。ナイル川の水が血に変わったり、ブヨやら蛙やらが大量発生したり、エジプト人やその家畜がいるところにだけ雹が降ってきたり。だんだんとファラオはヘブライ人たちが出て行くことを承知するようになってきましたが、災いが終わるたびに心を翻してしまいました。「ファラオは、雨も雹も雷もやんだのを見て、またも罪を犯し、心がかたくなになった。」この心のかたくなさは、私たちにもよく分かります。他人事ではなく、私たち自身の問題ではないでしょうか。
「頑固」という言葉があります。「頑なで固い」と書きます。よくできた字だと思います。私の心だって別にどこもかしこも頑固なわけではない。しかし、神さまにも他人にも譲れないと自分で勝手に思い込んでいる頑固な部分があって、そこは本当にこわばっているし、凝り固まっています。
整骨院で治療してもらうと、私の体を触った先生は、ここの筋肉が固まっていますね、だからこっちが痛くなっているんですよ、とおっしゃいます。コリを甘く見て放置すると、その内ぎっくり腰のような大けがにつながってしまいます。心のコリも甘く見てはいけない。心を柔らかくするために、つまり不信仰という悪しき芽生えを摘み取るために、私たちはキリストの前に進み出て、へりくだり、悔い改めの祈りを捧げることが大切ではないでしょうか。魂の整体しキリストが私たちの心を柔らかくしてくださいますから。