2026年4月23日木曜日

2026年4月23日の聖句

天は主の天。
地は主が人の子らに与えられた。(詩編115:16)
それゆえ私は、天と地のすべての家族がその名を源とする御父の前で膝をかがめるのです。(エフェソ3:14~15)

今日私たちに与えられている新約はエフェソの信徒への手紙ですが、この手紙では既に第2章でこのように言っていました。「このキリストによって、私たちは両方の者(異邦人もユダヤ人も)が一つの霊にあって、御父に近づくことができるのです。ですからあなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者たちと同じ民であり、神の家族の一員です」(2:18~19)。私たちは神の家族だ、と言っています。ユダヤ人でも異邦人でも、つまり割礼があってもなくても、あるいはこれまでの生き方や文化や背景がどうであろうとも、どんな人も神の家族として結ばれる。
そのように話ながら、この手紙を書いた使徒パウロは言います。「それゆえ私は、天と地のすべての家族がその名を源とする御父の前で膝をかがめるのです。」私たちに、キリストにあって「家族」という名を与えてくださった神に膝をかがめ、私たちは神を賛美します。神の家族として、父なる神様の御前にあってこのお方を礼拝するのです。
私たち家族の目指すところはただ一つです。「天は主の天。地は主が人の子らに与えられた。」どうか私たちの今日一日がこのようにして神をほめたたえ、神を礼拝することを第一とするものとなりますように。どのような人間にも栄光を帰すことなく、人間を礼賛するのではなく、ただ神にのみ栄光をお返しすることができますように。

2026年4月22日水曜日

2026年4月22日の聖句

人がその子を育て上げるように、あなたの神、主はあなたを育んでくださったということを、あなたは心に深く知る者となっています。(申命記8:5)
聖書全体は神から与えられたもの。教えと戒め、矯正と義に基づく訓練のために有益なのです。(2テモテ3:16)

主なる神さまは私たちを信仰者として育み、養ってくださいます。聖書の御言葉によって、私たちを神さまの民の一員として育ててくださいます。「聖書全体は神から与えられたもの。教えと戒め、矯正と義に基づく訓練のために有益なのです。」聖書こそ、神さまが私たちに与えてくださった命のパンなのです。
ここで、この手紙を書いたパウロは「聖書全体は」と言っていることに注意したいと思います。「聖書の中であなたの心に響く言葉は、神さまからあなたへのメッセージです」とは言っていません。自分のお気に入りのところだけではない。「聖書全体」です。聖書を読んでいて理解不能なところとか、とても厭なところ、読まなかったことにしておきたいところも含めての聖書全体、です。聖書はそのすべてが私たちへの神さまからのメッセージです。
「人がその子を育て上げるように」と言っています。子どもを育てるためには、甘くて柔らかい食べ物だけではなく、苦かったりエグかったりする野菜も必要です。固い食べ物も必要です。神の言葉も同じです。読めば喜びに溢れるような御言葉が必要なのと同じように、固くて呑み込みがたい御言葉も必要なのです。
神さまの御言葉を愛し、まっすぐに受け止め、耳を傾けて聞き、従いましょう。そこに私たちの命があるのです。必ず、御言葉にこそ命があります。

2026年4月21日火曜日

2026年4月21日の聖句

しかし、あなたは変わることなく
あなたの歳月は終わることがありません。(詩編102:28)
私たちの救い主である唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が、世の始まる前と同じく、今も、また世々限りなくありますように、アーメン。(ユダ25)

私たちは限りある存在です。私たちの命の日々は短いです。できることも小さな事に過ぎませんし、ほとんどのことに知恵が及びません。しかし、神さまはそうではありません。「しかし、あなたは変わることなく、あなたの歳月は終わることがありません」と詩編が言っているとおり、神さまは永遠のお方です。
永遠なるお方を前に、私たちができること、またするべきことは、このお方を賛美し、ほめたたえることではないでしょうか。「私たちの救い主である唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が、世の始まる前と同じく、今も、また世々限りなくありますように、アーメン。」私たちは永遠の神さまの栄光をたたえ、礼拝します。すべての始まりよりも先におられ、すべてを完成させることのできるお方です。このお方が私たち限りある者を憶えていてくださる。このお方が私たちを愛してくださる。そのすばらしい知らせを私たちは頂いています。
昨日も今日も、そしていつまでも変わることのないキリストの恵みがあなたにありますように。

2026年4月20日月曜日

2026年4月20日の聖句

主が私の旅行に恵みを与えてくださったのですから、私を引き止めないでください。(創世記24:56)
(イエスの言葉)しかし、実を言うと、私が去って行くのは、あなたがたのためになる。私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。私が行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。(ヨハネ16:7)

主イエスさまはおっしゃいます。「私が去って行くのは、あなたがたのためになる。」十字架を前にした主イエスさまのお言葉です。十字架にかけられ、復活して天にお帰りになる。そうして私たちの目の前から去ってしまわれる。私たちは、今、弟子たちが主をその目で見、主の手に触れ、主と共に過ごしたのと同じように主と一緒にいることができるわけではない。弟子たちがうらやましいです。同じように主イエスさまのお顔を仰ぎたいし、主の御声をこの耳で聞きたいのです。しかし、主は言われます。「私が去って行くのは、あなたがたのためになる。」もしかしたら、主イエスさまは、私たちの方が使徒たちよりももっと幸いだ、とおっしゃっているのかもしれません。
なぜなら、「私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。私が行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」からです。弁護者、それは聖霊のことです。聖霊という弁護者は、主イエスさまが神の御許に帰らなければ、そこから私たちのところへお送りくださらなければ、私たちのところには来ないのです。聖霊を頂いている私たちは、使徒たち以上に幸いだと主は言ってくださっているのではないかと思います。
十字架と復活、そして天へ帰る主イエス・キリストの旅路。そしてキリストに従う私たちの旅路。その道に祝福があるようにと主は言ってくださり、私たちの旅路を導くために弁護者・聖霊を私たちにお与えくださっているのです。

2026年4月19日日曜日

2026年4月19日の聖句

今週の聖句:
私は良い羊飼いである。羊は私の声を聞き分け、従う。私は永遠の命を与える。(ヨハネ10:27,28)

今日の聖句:
私は失われたものを捜し求め、散らされたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病めるものを力づける。(エゼキエル34:16)
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり監督者である方のもとへ立ち帰ったのです。(1ペトロ2:25)

主イエス・キリストは慈しみに満ちたお方です。本当に優しいお方です。私たちの羊飼いです。羊のようにさまよい、失われ、散らされ、傷つき、病む私たちを羊飼いキリストは愛し、育み、養ってくださいます。
「私は失われたものを捜し求め、散らされたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病めるものを力づける。」
このお方の声を聞き分け、私たちの魂の牧者でいらっしゃるお方のもとへ帰りましょう。主イエス・キリストの慈しみに満ちた手の中に憩いを頂きましょう。このお方の慈しみはどのようなときにも変わることがなく、このお方の愛は絶対に確かです。あなたの目の涙をこの方が拭ってくださいます。
キリストの平和が今日もあなたにありますように。

2026年4月18日土曜日

2026年4月18日の聖句

あなたの神、主は焼き尽くす火であり、情熱の神。(申命記4:24)
このように、私たちは揺るがされない御国を受けているのですから、感謝しましょう。感謝しつつ、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていきましょう。(ヘブライ12:28)

主なる神さまは焼き尽くす火だ、と今日の旧約の御言葉は言っています。「焼き尽くす火」とはいかなる意味かと言えば、さらに続けて「情熱の神」と書かれています。これは新共同訳の訳文ですが、聖書協会共同訳では「妬む神」と翻訳しています。神は焼き尽くす火のように妬むお方だ、と聖書は言うのです。
私たちは、はっきり言って「神の妬み」ということをあまり考えません。神さまはもっと優しく、春の日差しのように、どんなときにもおおらかに包み込むお方でいてほしいと思っています。妬みなどという人間的な、しかもどちらかというと罪深そうな感情は神さまにふさわしくないと思い込んでしまっているのではないでしょうか。ところが聖書ははっきりと、神は妬むお方であり、しかもその妬みは焼き尽くす火のように激しいと言っているのです。
神さまは私たちに関心をお持ちの方です。私たちが、私たちの命の造り主である方、私たちを愛してくださっている方に向いて生きることを望んでおられます。私たちが自分の貪欲を神としたり、この世が礼賛する価値を神のように信じて生きることを妬まれる。私たちの愛がどこに向いているのかに神さまの関心が向けられているのです。
神さまの妬む愛の激しさを真剣に受け止めましょう。神さまは私たちと適当でいい加減な関係を結ぼうとなさらず、真剣にこちらを向き、私たちの真剣な愛を求めておられる。神を畏れ敬い、神に喜ばれるように仕えましょう。神さまが私たちに求めておられるのは、私たちが世の常識や自分の基準に対して完璧であることではなく、ただただ神さまだけを見上げることにおいて一途であることではないでしょうか。

2026年4月17日金曜日

2026年4月17日の聖句

(神よ、あなたは)地の深い淵から(私を)再び引き上げてくださいます。
私を大いなるものとし
慰めを与えてくださいます。(詩編71:20~21)
イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、その死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子を母親にお渡しになった。(ルカ7:14~15)

私たちは、私たちの愛する人についてもこの主イエスの御言葉を信じます。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」主イエスがそうお語りくださり、私たちの愛する人のことをも起こしてくださることを私たちは信じます。若者も、年をっていても、誰であっても、キリストは御声をかけてくださって必ず起こしてくださいます。
あなたの愛する人、既に眠りについた人たちの話です。その眠りは、キリストに起こしていただくための眠りです。キリストの御声を聞くための眠りです。イエス・キリストは私たちがどんなに深い地の深い淵であっても呼び覚まし、私たちを引き上げてくださいます。主イエス・キリストに降りることのできない深みなどありません。陰府にまで降ったお方は私たちがやがて横たえられることになる地の深い淵にも来てくださいます。いや、既にキリストがそこにいて待っていてくださる。死んだときにもそこにキリストがおられるなら、それで良いのではないでしょうか。その事実こそが私たちの救いなのではないでしょうか。

2026年4月23日の聖句

天は主の天。 地は主が人の子らに与えられた。(詩編115:16) それゆえ私は、天と地のすべての家族がその名を源とする御父の前で膝をかがめるのです。(エフェソ3:14~15) 今日私たちに与えられている新約はエフェソの信徒への手紙ですが、この手紙では既に第2章でこ...