ダビデとイスラエルの人々は皆、神の前で力の限り、歌をうたい、琴、竪琴、タンバリン、シンバル。ラッパを奏でた。(歴代誌上13:8)
いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16)
今日の旧約聖書はとても興味深い箇所です。出エジプトしたときにシナイの山で神さまから頂いた石の板(十戒が書かれたもの)を収めるために箱が造られました。「神の箱」と呼ばれました。やがて神の民がカナンの地に入り、王政が作られていく途上で敵に奪われてしまったことがあります。やがてダビデ王の時代になってそれを取り戻し、いよいよ自分たちのもとへ迎え入れようとした、というのが今日の箇所です。
ダビデは喜んで神に賛美を献げました。「ダビデとイスラエルの人々は皆、神の前で力の限り、歌をうたい、琴、竪琴、タンバリン、シンバル。ラッパを奏でた。」かつて神の箱を失ってから数十年経っていましたから、ダビデだけではなくすべての神の民にとって感慨深い、本当に大きな喜びであったに違いありません。喜びの限りを尽くしてダビデは歌い、奏で、踊りました。
ところが、その後事件が起こります。神の箱は牛車に乗せて運んでいました。途中で牛がよろめき、車毎倒れそうになった。神の箱がひっくり返ってしまう。とっさに手を伸ばしてウザという人が箱を押さえました。箱は落ちないで済んだ。ところが、神はウザを裁き、その場で彼は打たれて死にました。本来神の箱はレビ人や祭司しか扱ってはならず、ウザはそれでなかったからです。しかしダビデの目には神さまの仕打ちがあまりに理不尽に映りました。大切な神の箱を守ろうとしたウザをウツとは何事か。「ダビデも怒りに燃えた」(10節)と聖書は記録しています。
この時の神さまの仕打ちについてはまた別の機会に考えたいと思います。今日は、ダビデの心の動きです。大きな喜びと賛美から、事件が起こり急激に怒りに振られた。ダビデはいつでも本気でした。本気で喜び、本気で怒った。そういうダビデを神は愛されました。私たちは信じること、神を求めること、祈ることにどれだけ本気なのでしょう。本気で喜んで神を賛美していますか?神に対して本気で怒っていますか?
いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16)
今日の旧約聖書はとても興味深い箇所です。出エジプトしたときにシナイの山で神さまから頂いた石の板(十戒が書かれたもの)を収めるために箱が造られました。「神の箱」と呼ばれました。やがて神の民がカナンの地に入り、王政が作られていく途上で敵に奪われてしまったことがあります。やがてダビデ王の時代になってそれを取り戻し、いよいよ自分たちのもとへ迎え入れようとした、というのが今日の箇所です。
ダビデは喜んで神に賛美を献げました。「ダビデとイスラエルの人々は皆、神の前で力の限り、歌をうたい、琴、竪琴、タンバリン、シンバル。ラッパを奏でた。」かつて神の箱を失ってから数十年経っていましたから、ダビデだけではなくすべての神の民にとって感慨深い、本当に大きな喜びであったに違いありません。喜びの限りを尽くしてダビデは歌い、奏で、踊りました。
ところが、その後事件が起こります。神の箱は牛車に乗せて運んでいました。途中で牛がよろめき、車毎倒れそうになった。神の箱がひっくり返ってしまう。とっさに手を伸ばしてウザという人が箱を押さえました。箱は落ちないで済んだ。ところが、神はウザを裁き、その場で彼は打たれて死にました。本来神の箱はレビ人や祭司しか扱ってはならず、ウザはそれでなかったからです。しかしダビデの目には神さまの仕打ちがあまりに理不尽に映りました。大切な神の箱を守ろうとしたウザをウツとは何事か。「ダビデも怒りに燃えた」(10節)と聖書は記録しています。
この時の神さまの仕打ちについてはまた別の機会に考えたいと思います。今日は、ダビデの心の動きです。大きな喜びと賛美から、事件が起こり急激に怒りに振られた。ダビデはいつでも本気でした。本気で喜び、本気で怒った。そういうダビデを神は愛されました。私たちは信じること、神を求めること、祈ることにどれだけ本気なのでしょう。本気で喜んで神を賛美していますか?神に対して本気で怒っていますか?