2024年7月14日日曜日

2024年7月14日の聖句

今週の聖句:
あなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者たちと同じ民であり、神の家族の一員です。(エフェソ2:19)

今日の聖句:
地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは主のもの。(詩編24:1)
ですから、あなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者たちと同じ民であり、神の家族の一員です。(エフェソ2:19)

私たちが日々の聖書日課として用いている「日々の聖句」では、毎日の旧約新約一箇所ずつの御言葉とあわせて、月の聖句や週の聖句も与えられています。今週の聖句は、今日の新約と同じ箇所です。聖句はくじ引きで決めているそうですから、今日は神さまは色濃くこの御言葉を聞かせてくださったということなのでしょう。
御言葉は、私たちをよそ者とは呼びません。聖なる者と同じ民と言います。私たちも神の民の一員、神の家族なのです。
私たちは、主なる神さまのものです。神の所有物です。だから、私たちは自分を卑下してはいけないのです。自分なんて必要ない人間だとか、自分の価値なんてたいしたことないと言ってはいけない。神さまのものだからです。あなたは聖なる者たちの一人です。神の家族の一員なのです。この力強い神の救いの宣言の中、私たちは今日の日を生きることが許されています。キリストの恵みが今日もあなたにありますように。

2024年7月12日金曜日

2024年7月12日の聖句

その僕モーセを通して約束された主の恵みの言葉が、一つとして実現しないことはありませんでした。(列王記上8:56)
(イエスは)モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書いてあることを解き明かされた。(ルカ24:27)

主の恵みの言葉。それは、主イエスが「ご自分について書いてあること」として聖書を解き明かしてくださったとおり、神の子キリストを証しする聖書の御言葉です。私たちは聖書の御言葉によって、恵みに溢れたキリストと出会います。
主イエス・キリスト。このお方こそ、主の恵みそのものでいらっしゃるお方。私たちの救い主です。キリストを仰ぎ、キリストを呼び、キリストの愛の中を私たちは生かされている。今日もキリストを崇めるために私たちは生きていきます。
ですから、私たちは神の恵みを求めて他の所には行きません。この世の成功とか、世間が褒めそやす立派さとか、そう言うところに私たちは神の恵みを見出さない。私たちを愛し、私たちのために十字架にかけられ、私たちのために復活させられたキリストにこそ神の恵みが明らかになった。だから、私たちは聖書が伝えるキリストを礼拝します。
暑い日や雨の日など、厳しい天候の日が続いています。肉体の弱さを覚えます。そのような日も、キリストに現された主の恵みが私たちを離れることはありません。私たちはキリストという主の言葉そのものでいらっしゃる方を信じて今日も生きていきます。今日もあなたに祝福がありますように。

2024年7月11日木曜日

2024年7月11日の聖句

彼らは「あなたたちは、ロ・アンミ(わが民ではない者)」と言われるかわりに、「生ける神の子ら」と言われるようになる。(ホセア2:1)
ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人でもあるのです。(ガラテヤ4:7)

もう20年ほど前ですが、アメリカ合衆国長老教会が『はじめてのカテキズム』という小さな本を出しました。子どもたちに信仰の教育をするために生み出された信仰問答書です。その第一の問答でこのように言われています。
問 あなたは誰ですか。
答 私は神さまの子どもです。
子どもたちがこれから神を信じる子どもとして成長していってほしいというときに、自分は神さまの子どもにして頂いたという事実を何よりも知ってほしい、という願いに満ちた言葉です。私は神の子。神に愛されている子ども。その事実は、キリストを信じる私たちすべての者に当てはまります。
私たちは、本当であれば「わが民ではない者」と神さまに言われなければならない者です。しかし、神さまは私たちをご自分の子どもにしてくださいました。奴隷であった私たちを、ご自分の子として迎えてくださいました。その事実、キリストの恵みによってひらかれた事実を喜んで受け入れて、神の子としての一日を歩んでいきましょう。
私たちは喜びをもってこの問いを聞くし、またその答を知っています。「あなたは誰ですか?」

2024年7月10日水曜日

2024年7月10日の聖句

これから後も私が神である。私の手から救い出せる者はない。私が実行すれば、誰が元に戻せようか。(イザヤ43:13)
ですから、誰も人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。(1コリント3:21,23)

もしも、どこかの会社の新入社員が社長に向かってお前呼ばわりしたり、上司に向かって小間使いのように命令したりしたら、会社の秩序が保てなくなってしまいます。人間同士であれば私たちは常識的にそのような無礼な振る舞いは基本的に慎みますが、神さまが相手になると、少し様子が変わってしまうところがあるかもしれません。
「私が神である。」主は断乎としてそのように宣言なさいます。永遠の昔から、そしてこれから後もこのお方こそが神。すべてのものの支配者、世界の王。
しかし私たちは神を王として崇め、尊敬しているでしょうか。神さまを神さまらしく敬っているでしょうか。もしかしたら人間にするよりももっと無礼に神さまにふるまってはいないだろうか。今日の御言葉を読み、そのようなことを考えさせられます。
人間を誇るな、と聖書は言います。自分自身を誇ったり、人間の力や知恵を礼賛して全幅の信頼を置いたりしてはならない。すべては神のものだから。私たちは、神こそこの世界をお造りになり、支配しておられるまことの王と心から信じ、それにふさわしく生きているのでしょうか。
私たちはキリストのものです。だから、キリストは私たちのためにご自身を献げてくださいました。命を受けた者として、こんなに罪深く神から遠く離れているのに恵みを頂いた者として、神を礼拝し、神の御前にひれ伏して歩んでいきましょう。主イエス・キリストの恵みと祝福に生かされる幸いを、今日、畏れつついただきましょう。

2024年7月9日の聖句

神が私たちを憐れみ、祝福してくださいますように。(詩編67:2)
(イエスは)子どもたちを抱き寄せ、手を置いて祝福された。(マルコ10:16)

神は私たちを祝福してくださっています。その事実を私たちは信じています。主の日の礼拝も、最後は祝福で閉じられます。昔は、あの礼拝の最後のプログラムを「祝祷」と呼んでいました。しかしあそこでしているのは祝福を願う祈りではなく、神からの祝福の宣言なので、「祝祷」ではなく「祝福」と改められました。神は、私たちがそれを祈り求める前から私たちを祝福してくださっている。その祝福の事実を私たちは信じる。
私たちの毎日の生活の上で例え何が起きたとしても、どんなに厭なことがあったとしても、神が祝福してくださっているという事実は揺らぎません。
主イエス・キリストは子どもたちを抱き寄せて、手を置いて祝福してくださいました。その祝福の手は私たちにも伸ばされています。私たちのことをも、キリストは神の子どもたちとして祝福してくださっています。
ここのところで私がとても好きなのは、主イエスが子どもたちに置いた「手」ですが、原語では複数形で書かれています。即ち、主イエスは子どもたちを抱き寄せて、その子たちの頭にご自分の両手を置いて祝福なさった。抱き寄せて両手を置いたということは、膝の上に乗せたということだと思います。主イエスの膝に抱かれて、頭の上に両手を置いて頂いている!なんと嬉しいことでしょう!そうやってキリストは私たちを祝福してくださっています。今も!
「神が私たちを憐れみ、祝福してくださいますように。」この祝福は、私たちが御言葉を聞く今ここで、実現しているのです。

2024年7月8日月曜日

2024年7月8日の聖句

あなた方の目は主の行われた大いなる業をことごとく見た。(申命記11:7)
私たちの主イエス・キリストの力と来臨とをあなたがたに知らせるのに、巧みな作り話に従ったのではありません。この私たちが、あの方の威光の目撃者だからです。(2ペトロ1:16)

目撃者の言葉を、証言と呼びます。主イエス・キリストの力と来臨の目撃者、証人として、使徒ペトロは私たちに語ります。見たことを話しているので、巧みな作り話をする必要もないし、嘘をつく必要もない。自分が見たこと、聞いたことをそのまま話したのだ、とペトロは言います。私たちが今聞いている福音は、そうやって使徒たちが見て聞いたことが連綿と伝えられて私たちにまで至ったものに他ならない。
そして、それと同時に教会が2000年間語り続けてきたことは、この2000年間に信仰に生きた無数の人々の主イエス・キリストとの出会いの言葉でもあります。私たちもペトロたちが証言するキリストと出会い、その威光に生かされてきた。「あなた方の目は主の行われた大いなる業をことごとく見た。」と言われているとおりです。私たちもその証人として、自分の経験した神の恵みを証ししています。
私たちは御言葉を証しします。どのようなときにも。例えあらゆる秩序が崩れたときにも、私たちはそれをやめるわけにはいかない。神に託された証人としての務めだからです。キリストの恵みを証しし、それを隣人に届けるために、私たちもキリストの力と来臨の証人にして頂いているのです。

2024年7月7日日曜日

2024年7月7日の聖句

今週の聖句:
あなたを造られた主は今言われる。恐れるな、私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。(イザヤ43:1)

今日の聖句:
悪しき者が自分の行った悪に背を向け、公正と正義を行うなら、彼は自分の命を救う。(エゼキエル18:27)
たとえ人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか。(マタイ16:26)

主イエス・キリストが私たちを招いてくださっています。「たとえ人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか。」だから神に立ち帰れ、と主イエスさまは私たちを呼んでおられます。神の御もとに立ち返って、自分の命を損なうことなく生きよ。キリストの招きです。
旧約も私たちへの神の招きの言葉です。「悪しき者が自分の行った悪に背を向け、公正と正義を行うなら、彼は自分の命を救う。」例えこれまで悪を行ってきたとしても、その悪に背を向け、神に向かって生き、公正と正義を行うなら、その人は自分の命を救う。神がその人を救ってくださる、と言います。悪を捨てて神の御もとに立ち返れ、と私たちを招いています。
神さまは私たちの過去の過ちや罪を忘れてくださる方です。それが、赦すということです。神さまはいつまでも執念深く追求するようなことはなさらない。私たちの罪も咎も忘れ、今立ち返ることを喜んで受け入れてくださる憐れみに満ちたお方です。今、私たちは神の御許に帰りましょう。

2024年7月14日の聖句

今週の聖句: あなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者たちと同じ民であり、神の家族の一員です。(エフェソ2:19) 今日の聖句: 地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは主のもの。(詩編24:1) ですから、あなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者...