主はこう言われる。
私は覚えている
あなたの若い頃の誠実を
花嫁の時の愛を
種の蒔かれていない地、荒れ野であなたが私に従って来たことを。(エレミヤ2:2)
私たちは、初めの確信を終わりまでしっかりと保つなら、キリストにあずかる者となるのです。(ヘブライ3:14)
主なる神さまが選んでご自分の民としてくださり、鷲の翼に乗せてエジプトから荒れ野まで運んでくださった。神の民として私たちは生きる。それが聖書の民(私たちもその一員です)の原点です。「若い頃の誠実」「花嫁の時の愛」というのは、エジプトを脱出して旅した「種の蒔かれていない地、荒れ野」で神に従ったことを指しています。何もない場所、神に頼る以外に生きるすべを持たない者として、神の民は生きたのです。
やがて約束の地に入り、生活が安定すると、民は最初の愛を忘れました。神が私たちを選んでくださったという事実も、神が種の蒔かれていない地、荒れ野で生かしてくださったという恵みの出来事も、忘れてしまった。神が愛してくださった事実も、神を愛してきたことも、まるで意味を持たないかのような生き方をした。
その姿は、そのまま私たちのものです。神さまが選び出してくださったという原点も、神を愛して生きることこそ私らしい生き方であるということも、私たちはすぐに忘れてしまう。それが人間らしくない私たちの社会の現実を生み出してしまっている。
しかし、私たちが忘れても神さまは忘れないでいてくださいます。私たちが神さまのことを考えなくても、神さまは私たちのことを考え続けてくださっています。そこに私たちの救いがあるのです。神さまが私たちを御心に留め続けてくださっているという事実だけに。
私は覚えている
あなたの若い頃の誠実を
花嫁の時の愛を
種の蒔かれていない地、荒れ野であなたが私に従って来たことを。(エレミヤ2:2)
私たちは、初めの確信を終わりまでしっかりと保つなら、キリストにあずかる者となるのです。(ヘブライ3:14)
主なる神さまが選んでご自分の民としてくださり、鷲の翼に乗せてエジプトから荒れ野まで運んでくださった。神の民として私たちは生きる。それが聖書の民(私たちもその一員です)の原点です。「若い頃の誠実」「花嫁の時の愛」というのは、エジプトを脱出して旅した「種の蒔かれていない地、荒れ野」で神に従ったことを指しています。何もない場所、神に頼る以外に生きるすべを持たない者として、神の民は生きたのです。
やがて約束の地に入り、生活が安定すると、民は最初の愛を忘れました。神が私たちを選んでくださったという事実も、神が種の蒔かれていない地、荒れ野で生かしてくださったという恵みの出来事も、忘れてしまった。神が愛してくださった事実も、神を愛してきたことも、まるで意味を持たないかのような生き方をした。
その姿は、そのまま私たちのものです。神さまが選び出してくださったという原点も、神を愛して生きることこそ私らしい生き方であるということも、私たちはすぐに忘れてしまう。それが人間らしくない私たちの社会の現実を生み出してしまっている。
しかし、私たちが忘れても神さまは忘れないでいてくださいます。私たちが神さまのことを考えなくても、神さまは私たちのことを考え続けてくださっています。そこに私たちの救いがあるのです。神さまが私たちを御心に留め続けてくださっているという事実だけに。