2026年3月11日水曜日

2026年3月11日の聖句

私の魂はあなたの救いを待ち望んでいます。
あなたの言葉に希望を置いているのです。(詩編119:81)
夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で霊どもを追い出し、病人を皆癒やされた。(マタイ8:16)

主イエス・キリストは悪霊に取りつかれた者や病人を受け入れ、あるいはご自分の方から彼ら・彼女らのところへと出かけて行かれました。主は、救いを待ち望む魂のところへ向かい、ご自分のもとに逃れる者を受け入れてくださいます。
「悪霊に取りつかれた」というのは、現代の言葉で言うならば、何らかの心の病、あるいは原因不明の病苦などを意味していたのかもしれません。いずれにしても「悪霊に取りつかれている」と言われた人々は厳しく差別されて共同体から排除されたり、非人間的な扱いを受けたりしていたようです。「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。」どうして夕方だったのでしょうか。はっきりしたことは分かりませんが、もしかしたら、できるだけ人目につきにくいように昼間を避けたのかもしれません。そうやって連れてこられた人々を、主は喜んで受け入れてくださいました。
キリストは社会が引いた境界線を大胆に越えていかれます。私たちの常識や社会の成り立ちを飛び越えてしまわれます。キリストは越境し、私たちに御言葉を語りかけます。私たちに自由と解放をもたらす福音の言葉を宣言なさるのです。私たちを縛り付ける悪霊を追い出し、私たちを抑圧する時代の精神と対決する言葉、将来を開く言葉を語り出される。私たちが今耳にしているのは、キリストの新しい世界を生み出す御言葉なのです。

2026年3月9日月曜日

2026年3月9日の聖句

天はあなたのもの、地もまたあなたのもの。
世界とそこに満ちるものは
あなたが礎を築いたもの。
北も南もあなたが創造された。(詩編89:12~13)
神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の全域に住まわせました。(使徒17:26)

主なる神さまの手は、大きいです。天も地も、そこにあるものもすべては神がお造りになりました。私たちが生きている地そのものを支えている礎もまた神が築かれたもの。途方もない話です。主は私たちの思いの及びもつかない途方もなさでもって私たちを支えてくださり、私たちを今日も生かしてくださっています。
「神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の全域に住まわせました。」私たちの命は神が下さったものです。最初の人間もまた神がお造りになりました。神が創造してくださったから人間は存在している。神が造った命が私のことをも生んだ。ここに私がいるということ自体が神の途方もない御業のなせることです。
果てしなく大きな、この宇宙のすべてをお造りになった方が私のことも造ってくださり、命を与え、今日も憶えていてくださる。驚くべきことです。主の憐れみに驚き、このお方をたたえて今日という日を生きていきたい、と願います。こんなに小さな私をも、世界の支配者が憶えていてくださるのです。

2026年3月8日日曜日

2026年3月8日の聖句

今週の聖句:
鋤に手をかけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない。(ルカ9:62)

今日の聖句:
わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。(創世記18:3)
イエスは言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしている。」(ルカ19:5)

毎月2度ほど本厚木にあるYMCAの保育園で礼拝のお手伝いをしていますが、ここのところ、三月の卒園式にも出席させて頂いています。毎年楽しみにしているのは、卒園アルバムを子どもたちに渡す場面です。卒園する5歳児のクラスを担当している保育士さんが一人ひとりの名前を呼び、子どもが前に出てきて、手渡します。渡す時にそれぞれの子どもにメッセージを送っています。それがとってもステキなのです。一人ひとりの子どもとの思い出を大切にした、心を込めた言葉に毎年感動しています。子どもは自分の名前が呼ばれるまでドキドキしながら待っていることでしょう。
今日の旧約の御言葉ですが、このように書かれています。「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。」神が自分を憶えてくださる。私の前を通り過ぎず、むしろ私のところへ来てくださる。こんなに有り難いことはありません。「もし私があなたの前に恵みを得ているなら」と言っています。神が私を覚え、私の名を呼び、私に心を込めた愛を送ってくださっているという事実を知らされることが、私たちのための神の救いなのではないでしょうか。
主イエスさまはザアカイを覚え、ザアカイのところへ来てくださいました。ザアカイは徴税人の仕事をしていたこともあって、町いちばんの嫌われ者でした。しかしキリストはザアカイに恵みを示してくださいます。ザアカイのことを覚えていてくださる。ザアカイの前を通り過ぎてしまうようなことはなさらない。ザアカイを見つめて言ってくださいます。「今日は、あなたの家に泊まることにしている」と。
主イエス・キリストは最上の愛を込めてあなたを憶えていてくださいます。キリストは他ならぬあなたのところへ来てくださいます。今日、キリストの福音を聞いたとき、キリストはあなたを訪れてくださっています。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしている。」これは、あなたを呼ぶキリストの声です。

2026年3月7日土曜日

2026年3月7日の聖句

なぜ国々は言うのか。「彼らの神はどこにいるのか」と。
私たちの神は天にいまし
御旨のままにすべてを行われる。(詩編115:2~3)
イエスは言われた。「私を見る者は、父を見ることになるのだ。」(ヨハネ14:9)

今日の旧約聖書の御言葉は「なぜ国々は言うのか」と始まっています。ここで言われている「国々」というのは、主なる神さまを信じいない人々ということであると思います。神を信じない者が私たちに向かって言うのです。「お前が信じる神はどこにいるのか」と。一体どう答えたらいいのでしょうか。
「彼らの神はどこにいるのか」という言葉の後には、いろいろな言葉が続くのではないかと思います。「もしもあなたが信じるような神が本当にいるのなら、どうして世の中にこのように悪がはびこっているのか」「どうして不幸が続くのか」「どうして私はこんなに苦しまなければならないのか」・・・。
詩編は「彼らの神はどこにいるのか」という問いに答えています。「私たちの神は天にいまし、御旨のままにすべてを行われる」。神は私たちが手を届かせてコントロールすることのできるような方ではない。神は天におられる。そして、今日も生きて働いておられる。神はご自身の御旨のままに、御業を行っている。今、私たちにその意味がすべて分からなくても、私たちには「なぜ?」という問いしかのこらない現実であっても、必ず神の御業は進んでいる。すべての出来事は永遠の祝福に必ず至るプロセスです。これは、そう信じる告白です。
主イエスは天の父でいらっしゃる神を示しておっしゃいます。「私を見る者は、父を見ることになる」と。私たちが神について知るべき事はすべてキリストが現してくださった。キリストと出会うとき、私たちは神ご自身と出会っている。ですから、私たちは問いを抱えつつ、キリストに目を注ぎ、キリストの言葉に耳を傾けます。私たちは「お前の神はどこにいるのか」と繰り返し問われます。そのたびに、私たちはキリストを指さします。ここにいる、ここに神がおられる!私たちの問うすべての「なぜ」を背負っておられるキリストこそが私たちの信じる神ご自身なのです。

2026年3月6日金曜日

2026年3月6日の聖句

正しき者は弱い人の訴えを認める。(詩編29:7)
イエスは(その議員に)言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、私に従いなさい。」(ルカ18:22)

今朝の主イエスの御言葉を聞くと立ちすくんでしまいます。「主よ、できません」としか言えず、それ以上の言葉が出てきません。主の言葉の通りに生きている人は知っています。しかし、自分のこととして、主イエスのこの御言葉に文字通りに従っているかと言われれば、そうではない。私もこの議員と同じように、悲しみながら立ち去らなければならない。恥ずかしいことですが、正直に言って、私はそのような人間です。
主イエスの側でこのやりとりを見ていた人たちも同じ感想を抱いたのだと思います。「それでは、だれが救われるのだろうか」と言っています。本当にそうです。一体誰が救われうるのでしょうか?いや、そのように生きている人、そのように信じて実践している人はいるでしょう。しかし、私は救われようがありませんと言わざるを得ない・・・。
主イエスはさらにおっしゃいます。「人間にはできないことも、神にはできる」。私たちはただただ神の憐れみにおすがりするしかありません。私には、私ひとりを救う力もありません。自分でも自分のことをどうすることもできないのです。しかし、神にはこんな私を救うことがおできになる、と主は言われます。持っている物に執着し、お金にしがみつき、神さまに明け渡すことのできない、バカでケチでお金の亡者のような私を、主は救うことがおできになる。そのことをひたすら信じ、ただ憐れみを請うだけです。

2026年3月5日木曜日

2026年3月5日の聖句

私の手は地の基を据え、私の右の手は天を押し広げた。
私が呼びかけると、それは共に立ち上がる。(イザヤ48:13)
私たちの主、また神よ
あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。
あなたは万物を造られ
万物はあなたの御心によって存在し
また造られたからです。(黙示録4:11)

今日の新約聖書の御言葉はヨハネの黙示録です。聖書の最後に収められているこの小さな書は、パトモス島に流刑にされていた一人の人が見た幻を書き記したものです。著者ヨハネを取り囲んでいる現実は果てしなく厳しい。信仰のために島流しになってしまった。圧倒的な帝国の力がある。逆らいようもないし、救いも見えない。しかしそれでも、ヨハネは日曜日になるたびに神に礼拝を献げていました。そして、礼拝を献げる中で彼は知ったのです。今、私を取り囲んでいる「現実」よりももっと確かなことがある。私の小さな礼拝は、ただの無力な、あってもなくても大して意味もないものではない。この小さな礼拝は天での礼拝に共鳴しているのだ。ヨハネはこの信仰によって生かされた。
今日の御言葉は天での礼拝の様子を描いている場面です。天の玉座におられる神の前で礼拝が献げられ、栄光に神にお返しする言葉です。神こそすべての栄光と誉れと力を受けるにふさわしいお方。このお方が万物を造り、万物は神の御心によって存在している。この圧倒的な神の御業を、絶海の孤島である流刑地パトモスで信じたのがヨハネという人でした。
今あなたを取り囲んでいる現実は、どのようなものでしょうか。その現実と神さまと、どちらの力が強いとあなたは信じているのでしょうか?あなたが献げる礼拝は、ただの世界の片隅の小さな営みに過ぎないのでしょうか?あってもなくてもどちらでも構わない、趣味を同じくする人のサークル活動に過ぎないのでしょうか?
そうではありません。あなたが献げる礼拝は天の礼拝と共鳴しています。あなたが献げる賛美は神の前で栄光をお返しする天の声と同じ声です。あなたが礼拝しているお方は、この世界を造り、今も支配しておられる方です。その圧倒的な事実を、あなたは信じていますか?

2026年3月4日水曜日

2026年3月4日の聖句

主を喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩編37:4)
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。(マタイ7:11)

「主はあなたの心の願いをかなえてくださる」と聖書は言います。この言葉を聞いてどのように思われるでしょうか。「本当にそのとおりです」と思われるでしょうか。それとも「嘘だ。私には良いものをくださらなかった」と思われるか。感じ方は人によって様々ではないかと思います。あなたはどのように思われますか。
主イエスは言われます。「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。」主は、私たちの「親心」を引き合いに出しておられます。親であれば子どもに良い物を与えたいと考えるはずだ。パンを欲しがる子どもに石を与える親はいないし、魚を食べたいと言っている子どもに蛇を与えるようなことはしない。もしあなたが悪人だったとしても、親として自分の子どもには良い物を与えようとするではないか。私たちでさえそのような親心を持っているならば、まして天におられる父はいちばん良い物をくださるはずだ。主の御言葉に促されて、まず何よりも天の父の慈しみを信頼しましょう。
さらに問わないわけにはいかない。私たちにとって一番良い物とは一体何か。私たちは何を求めて生きているか。私たちの深いところにある求めやニードは一体何か。少し角度を変えて問います。私たちは「十字架」が答であるような求めを持っているでしょうか。「キリストの復活」が自分の必要であると気付いているでしょうか。「主の弟子として従うこと」が自分にとって何よりも大事な価値だと私たちは知っているでしょうか。私たちは、何を求めて生きているでしょうか?
「主を喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」この御言葉は私たちの願いや求めを新しくします。主を喜びとし、主を賛美することこそが私たちの真の幸せだと気付かせます。私たちが主を賛美するために生きているのだと、私たちはキリストの与えてくださった賜物によって知るのです。つまり、キリストが私たちに与えてくださる最良の贈り物である聖霊によって、私たちは新しくなり、神に向かって生き、神を求める者として新しく生まれるのです。天の父の子として!

2026年3月11日の聖句

私の魂はあなたの救いを待ち望んでいます。 あなたの言葉に希望を置いているのです。(詩編119:81) 夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で霊どもを追い出し、病人を皆癒やされた。(マタイ8:16) 主イエス・キリストは悪霊に取りつかれた者や病人を...