私があなたがたを救い
あなたがたは祝福となる。(ゼカリヤ8:13)
神は、どのような苦難のときにも、私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。(2コリント1:4)
今日の旧約の御言葉として与えられているのはゼカリヤ書8:13の一部ですので、改めて13節全体をここに引用します。
「ユダの家よ、イスラエルの家よ。あなたがたは、かつて諸国民の中で呪いとなったが、今や私があなた方を救い、あなたがたは祝福となる。恐れてはならない。勇気を出せ。」
かつてユダとイスラエルは諸国民の中で呪いであった、と言います。主なる神さまを捨て、国が破滅し、人々の呪いの的となった歴史をユダとイスラエルの国は持っている。そのことを言っているのでしょう。かつては諸国民の中の呪いであった者たちを神が救ってくださって、今や諸国民の祝福に変わる。あなたたちの罪はかつては諸国民にとっても呪いでしかなかった。ところが今やあなたたちによって私の祝福が諸国民にもたらされる。神はそう言ってくださっているのではないでしょうか。
「救い」ということを私たちはとかく個人的に考えがちです。これまでの私の不全感やコンプレックス、個人的な不幸や悩みから解放されることが私の救い。「私の罪責感からの救い」に限定して考えてしまうところがある。ところが聖書の描く救いはもっとスケールが大きい。神の民の救いは諸国民の祝福だと言うのです。
今朝の新約聖書の御言葉も同じです。パウロの慰めはコリント教会の人々にももたらされ、彼らにとっての慰めにもなる。神はあらゆる苦難のときに私を慰め、あなたをも慰める。ここでの「あなた」が意味する範囲は決して小さくないと思います。世界中を巻き込み、2000年後の私たちをも巻き込みました。パウロは、神さまは個人的に私に関わって私だけを慰めてくれた、とは言わないのです。
主なる神さまは、私たちをこの世界のための祝福の基、慰めの源としてくださいます。私たちも主に遣わされた使者として祝福を携えてここから出て行くのです。
あなたがたは祝福となる。(ゼカリヤ8:13)
神は、どのような苦難のときにも、私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。(2コリント1:4)
今日の旧約の御言葉として与えられているのはゼカリヤ書8:13の一部ですので、改めて13節全体をここに引用します。
「ユダの家よ、イスラエルの家よ。あなたがたは、かつて諸国民の中で呪いとなったが、今や私があなた方を救い、あなたがたは祝福となる。恐れてはならない。勇気を出せ。」
かつてユダとイスラエルは諸国民の中で呪いであった、と言います。主なる神さまを捨て、国が破滅し、人々の呪いの的となった歴史をユダとイスラエルの国は持っている。そのことを言っているのでしょう。かつては諸国民の中の呪いであった者たちを神が救ってくださって、今や諸国民の祝福に変わる。あなたたちの罪はかつては諸国民にとっても呪いでしかなかった。ところが今やあなたたちによって私の祝福が諸国民にもたらされる。神はそう言ってくださっているのではないでしょうか。
「救い」ということを私たちはとかく個人的に考えがちです。これまでの私の不全感やコンプレックス、個人的な不幸や悩みから解放されることが私の救い。「私の罪責感からの救い」に限定して考えてしまうところがある。ところが聖書の描く救いはもっとスケールが大きい。神の民の救いは諸国民の祝福だと言うのです。
今朝の新約聖書の御言葉も同じです。パウロの慰めはコリント教会の人々にももたらされ、彼らにとっての慰めにもなる。神はあらゆる苦難のときに私を慰め、あなたをも慰める。ここでの「あなた」が意味する範囲は決して小さくないと思います。世界中を巻き込み、2000年後の私たちをも巻き込みました。パウロは、神さまは個人的に私に関わって私だけを慰めてくれた、とは言わないのです。
主なる神さまは、私たちをこの世界のための祝福の基、慰めの源としてくださいます。私たちも主に遣わされた使者として祝福を携えてここから出て行くのです。