私たちの神はその呪いを祝福に変えてくださった。(ネヘミヤ13:2)
キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖いだしてくださいました。「木に掛けられた者は皆、呪われている」と書いてあるからです。(ガラテヤ3:13)
私たちのために、キリストが呪いとなられた、と今日の新約の御言葉は言います。ここでの「呪い」というのは、明らかに神から呪われたものとなったという意味です。神が御子イエスを呪っておられる。十字架という木に掛けてキリストが殺されたのは、人間がした非人道的な処刑方法だったというだけではなく、実は神の呪いのしるしだったのです。
人間関係に置き換えて考えてみても、呪われるというのはただ事ではありません。通常の仕方で嫌うとか恨みに思うということ以上の憎しみが込められているのではないでしょうか。増して、「神が」です。「ご自分の独り子を」です。キリストが呪いとなられたという言葉に込められた出来事のすさまじさを今更ながら思わされます。
キリストが神から呪われたのは、律法によって明らかになった罪のために本来であれば私たちがが呪われるべきであったその呪いを引き受けてくださったことに他ならない。私の罪の重さは、神の子が神から呪われなければならないほどに恐ろしいのです。私が神を蔑ろにすること。私が弱っている人を見て見ぬ振りすること。私が神の生み出した平和を損なっていること。そういう一つひとつが、神の子への呪いとして跳ね返った。恐ろしいことをしてきたのです。
キリストが掛けられた木、十字架の木は、私の受けるべき呪いを祝福に変えてくださった。聖書は言います。「キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖いだしてくださいました。」キリストが十字架にかかって私たちを罪から買い戻した。神の子として取り戻してくださった。「私たちの神はその呪いを祝福に変えてくださった」のです。この後は、私たちはただひたすらに神を賛美し、キリストに感謝を献げるだけです。
*今日の箇所は本来は『日々の聖句』で9月9日に指定されていた箇所でした。9日に誤って10日の分を読んでしまい、そのまま順次間違いを続けてしまいました。失礼いたしました。
キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖いだしてくださいました。「木に掛けられた者は皆、呪われている」と書いてあるからです。(ガラテヤ3:13)
私たちのために、キリストが呪いとなられた、と今日の新約の御言葉は言います。ここでの「呪い」というのは、明らかに神から呪われたものとなったという意味です。神が御子イエスを呪っておられる。十字架という木に掛けてキリストが殺されたのは、人間がした非人道的な処刑方法だったというだけではなく、実は神の呪いのしるしだったのです。
人間関係に置き換えて考えてみても、呪われるというのはただ事ではありません。通常の仕方で嫌うとか恨みに思うということ以上の憎しみが込められているのではないでしょうか。増して、「神が」です。「ご自分の独り子を」です。キリストが呪いとなられたという言葉に込められた出来事のすさまじさを今更ながら思わされます。
キリストが神から呪われたのは、律法によって明らかになった罪のために本来であれば私たちがが呪われるべきであったその呪いを引き受けてくださったことに他ならない。私の罪の重さは、神の子が神から呪われなければならないほどに恐ろしいのです。私が神を蔑ろにすること。私が弱っている人を見て見ぬ振りすること。私が神の生み出した平和を損なっていること。そういう一つひとつが、神の子への呪いとして跳ね返った。恐ろしいことをしてきたのです。
キリストが掛けられた木、十字架の木は、私の受けるべき呪いを祝福に変えてくださった。聖書は言います。「キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖いだしてくださいました。」キリストが十字架にかかって私たちを罪から買い戻した。神の子として取り戻してくださった。「私たちの神はその呪いを祝福に変えてくださった」のです。この後は、私たちはただひたすらに神を賛美し、キリストに感謝を献げるだけです。
*今日の箇所は本来は『日々の聖句』で9月9日に指定されていた箇所でした。9日に誤って10日の分を読んでしまい、そのまま順次間違いを続けてしまいました。失礼いたしました。