幸いな者、主を神とする民は。(詩編144:15)
同じ主が、すべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。(ローマ10:12)
今日の新約の御言葉の直前には「ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。」と書かれています。これまで主なる神さまへの信仰は、ひとつのユダヤ人の民俗宗教でした。ところが主はユダヤ人だけにとっての神ではない。すべての人の神であり、すべての人の主です。ユダヤ人もギリシア人もなく、同じ主が、すべての人の主です。そしてご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるお方です。
私たちはこの点を曖昧にすべきではない、と思います。主なる神さまへの信仰は教会に行っている人だけにしか通用しない、あの人にはあの人の信念があるから立ち入るべきではない。今は、そうやっていろいろな物事を相対化する時代です。信仰や宗教など、真っ先に相対化されるべき事柄としてやり玉に挙げられている。一方で、独善的に「他のものは間違っている」と考えるのは、誤りでしょう。しかし他方で「何でも良い」「全部、結局は同じだ」というのも傲慢ではないでしょうか。他の宗教に対しても傲慢ですし、誰より神さまに対して傲慢です。
私たちは「同じ主が、すべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです」という御言葉を前にして、神さまに対しても隣人に対してもへりくだらなければならない。身を低くしなければ聞くことのできない御言葉であると思います。私たちは何者でもない。そんな者を選んでご自分のものとしてくださったお方です。憐れみを求めて、私たちは主を呼び求める。その幸いはすべての人に開かれています。私たちはそのために仕える神と隣人の僕です。
同じ主が、すべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。(ローマ10:12)
今日の新約の御言葉の直前には「ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。」と書かれています。これまで主なる神さまへの信仰は、ひとつのユダヤ人の民俗宗教でした。ところが主はユダヤ人だけにとっての神ではない。すべての人の神であり、すべての人の主です。ユダヤ人もギリシア人もなく、同じ主が、すべての人の主です。そしてご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるお方です。
私たちはこの点を曖昧にすべきではない、と思います。主なる神さまへの信仰は教会に行っている人だけにしか通用しない、あの人にはあの人の信念があるから立ち入るべきではない。今は、そうやっていろいろな物事を相対化する時代です。信仰や宗教など、真っ先に相対化されるべき事柄としてやり玉に挙げられている。一方で、独善的に「他のものは間違っている」と考えるのは、誤りでしょう。しかし他方で「何でも良い」「全部、結局は同じだ」というのも傲慢ではないでしょうか。他の宗教に対しても傲慢ですし、誰より神さまに対して傲慢です。
私たちは「同じ主が、すべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです」という御言葉を前にして、神さまに対しても隣人に対してもへりくだらなければならない。身を低くしなければ聞くことのできない御言葉であると思います。私たちは何者でもない。そんな者を選んでご自分のものとしてくださったお方です。憐れみを求めて、私たちは主を呼び求める。その幸いはすべての人に開かれています。私たちはそのために仕える神と隣人の僕です。