もし主の声に聞き従わないならば、主の手はあなたがたの先祖を攻めたように、あなたがたをも攻めるだろう。(サムエル上12:15)
あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。キリストの内に根を下ろし、その基の上に建てられ、教えられたとおり信仰によって強められなさい。(コロサイ2:6~7)
改革者ルターは、私たちの信仰生活に大切な三つのことを挙げました。「祈り」「黙想」「誘惑」の三つです。
祈りと黙想は、よく分かるような気がします。私たちは神さまに向かう存在として造られましたから、神に祈ります。私たち自身に心を向けるのではなくただ神を待ち望む。祈る者として生きる。そして、黙想は、私たちの外から響く神の言葉に耳を傾けることから始まります。自分の内面を探るのではないし、無の境地を目指すのでもない。私たちの黙想は、外から響く神の言葉の黙想、福音の中に沈潜することです。
ところが三つ目の「誘惑」は分かりにくい言葉です。この言葉は「攻撃」と訳すこともできるそうです。誘惑にしても攻撃にしても、誰に誘惑され、攻撃されるのか。神さまです。神さまから攻撃されること、神の誘惑に身をさらすこと。
今日の御言葉ではこのように言っています。「もし主の声に聞き従わないならば、主の手はあなたがたの先祖を攻めたように、あなたがたをも攻めるだろう。」私たち人間の歴史は、まさに、神に従うことなく神からの攻撃を受け続ける歴史であるように思います。大事なのは、それが「神の攻撃である」ということを知ることです。単なる不運ではないし、巡り合わせの悪さではない。今受けているこの苦しみは、神からの攻撃に他ならない。そのことを知るとき、私たちの生き方が変わります。この苦しみにも神の語りかけがあるのです。ここで響く神の言葉の黙想が始まる。その苦しみの中で神を呼び求める祈りが始まる。
これこそ、キリストの内に根を下ろし、キリストという基に立てられ、キリストの教えによって強められる信仰ではないでしょうか。
あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。キリストの内に根を下ろし、その基の上に建てられ、教えられたとおり信仰によって強められなさい。(コロサイ2:6~7)
改革者ルターは、私たちの信仰生活に大切な三つのことを挙げました。「祈り」「黙想」「誘惑」の三つです。
祈りと黙想は、よく分かるような気がします。私たちは神さまに向かう存在として造られましたから、神に祈ります。私たち自身に心を向けるのではなくただ神を待ち望む。祈る者として生きる。そして、黙想は、私たちの外から響く神の言葉に耳を傾けることから始まります。自分の内面を探るのではないし、無の境地を目指すのでもない。私たちの黙想は、外から響く神の言葉の黙想、福音の中に沈潜することです。
ところが三つ目の「誘惑」は分かりにくい言葉です。この言葉は「攻撃」と訳すこともできるそうです。誘惑にしても攻撃にしても、誰に誘惑され、攻撃されるのか。神さまです。神さまから攻撃されること、神の誘惑に身をさらすこと。
今日の御言葉ではこのように言っています。「もし主の声に聞き従わないならば、主の手はあなたがたの先祖を攻めたように、あなたがたをも攻めるだろう。」私たち人間の歴史は、まさに、神に従うことなく神からの攻撃を受け続ける歴史であるように思います。大事なのは、それが「神の攻撃である」ということを知ることです。単なる不運ではないし、巡り合わせの悪さではない。今受けているこの苦しみは、神からの攻撃に他ならない。そのことを知るとき、私たちの生き方が変わります。この苦しみにも神の語りかけがあるのです。ここで響く神の言葉の黙想が始まる。その苦しみの中で神を呼び求める祈りが始まる。
これこそ、キリストの内に根を下ろし、キリストという基に立てられ、キリストの教えによって強められる信仰ではないでしょうか。